ワシントンDC・ODA改革ランチ
「日本のNGOによる経済協力の現状と今後の方向性」
2001年12月6日、米国ワシントンDCにて、官・学・民・国際機関の経済協力実務家を中心とした有志約20名が、個人の資格でODA改革(日本のNGOによる経済協力の現状と今後の方向性)について昼食を交え意見交換を行ったところ、概要は次の通りです。
(ポイント)
- 政府の側は、なぜ、どのようにNGOを通じた援助を実施していくのか、明確な戦略・政策を提示する必要がある。政府としてNGOに予算を付ける以上、何に重点的に予算を配分していくかという戦略・政策を提示していくことに精力を集中し、個々のレベルでの実施についてはNGOに競争させてアイディアを出してもらうというアプローチを取るべきである。そのためには、NGOによる援助の現場を知るための方策、NGOを通じた支援の立案能力やNGOに対する審査・モニタリング能力の向上、NGOの実態に関する情報収集能力の向上、政府部内の調整・情報共有に取り組むことが重要である。
- NGOの側には、NGO間の対立、世代格差、人事・財務管理の未成熟、理念・政策・戦略の不足、説明能力の不足、専門性や語学力の不足等、様々な問題がある。予算不足、人材不足にはNGO側の取り組みにも一因がある。今後は国際交流から脱皮して専門性を持ち、途上国のコミュニティだけでなく、他国のNGOやドナーとのコミュニケーションを図り、交渉能力をつけるとともに、援助に関わる全ての関係者に対する説明責任を果たすことが重要である。また、NGOには資金授受以外の政策対話・協議や、先進国の社会のあり方自体の見直しといった役割もあることに留意すべきである。
|
(本文)
1.日本のNGOによる経済協力の現状と今後の方向性
(インターアクション(米開発NGO連合体)インターン・杉原ひろみ)
(1)はじめに
私は、1997年から2000年まで、在ジンバブエ日本国大使館の専門調査員として、経済協力班で主に草の根無償資金協力を担当していた。具体的には、現地NGOや国際NGO、国連機関等が行うプロジェクトを年間10件程度支援していた。2000年に大使館での任期終了後、夫の転職に伴いワシントンDCに移り、現在、インターアクションで日米官民パートナーシップ(P3)イニシアティヴのインターンとしてフォレスト事務局長と一緒に働いている。
(2)開発援助におけるNGOの位置付け
(イ)援助におけるドナー・途上国政府・NGOの関係
開発援助は、以前であればドナー・途上国政府・援助裨益者の3者間で行われていた。しかし、1980年代後半から90年代にかけて流れが変わり、先進国NGOや途上国NGOが援助のアクターとして重要視されるようになってきた。これにより、アクター相互の関係がより複雑になり、その力関係により援助が左右されるようになった。その結果、アクター間の調整がより重要になってきている。
(ロ)NGOの4類型
自分自身の考えでは、NGOの類型として次の4つが挙げられる。
(a)受益型:ドナーの資源・サービスを直接受益する、途上国の草の根組織、コミュニティをベースとした組織。
(b)コントラクター型:ドナーからプロジェクトの実施を請け負って実施する組織。
(c)主体型:主体性を持って組織の使命を実行する組織。
(d)アドボカシー型:ドナーの政策・活動に影響を与えようとする組織。
例えば英国の場合には、国際開発庁(DFID)は従来からの英国NGOへの支援を削減して途上国NGOを直接支援するようになってきているため、英国NGO自身が主体型からアドボカシー型に移らざるを得ないといった状況に置かれてきている。
米国の場合、特にワシントンDCに事務所を構えているNGOはコントラクター型(USAIDから実施を請け負うもの)が主流である。ただし、一部に主体型NGOもある。
日本の場合には、従来はNGOに政府の資金が流入してこなかったため主体型NGOが多かったが、昨今の政府によるNGO支援強化を考えるとコントラクター型が増加すると思われる。
(3)日本のNGO・ドナー関係
(イ)ドナーのNGOに対する期待
第一に、昨今何かと日本国民から批判を受けているODAに対して国民の理解と支援を得るため、シビルソサエティの中心になると思われるNGOとの連携が必要になってきていると言える。この文脈ではドナーはコントラクター型のNGOを期待している。
第二に、NGOは途上国の地域社会・住民に密着したきめの細かい援助の実施や緊急人道支援等で迅速・柔軟な対応が可能という点が挙げられる。しかし、自分の経験から言えば、力がないNGOもあり、逆に力のあるNGOでも、ドナーが現場の状況を把握し、フレキシブルな対応をして行かなければ、そうした期待は実現できないことに留意する必要がある。
(ロ)NGO支援の実態
このNGOに対する期待を実現するため、政府はNGO組織のキャパシティ・ビルディング、マネージメント・専門性・アカウンタビリティの向上等のために、各種トレーニング、ワークショップを実施している。しかし、現実には日本のNGOは組織が脆弱で資金・技術協力するに値するNGOが少なく、政府側としても予算をいかに効果的に使うか課題になっている、との状況が浮かび上がってくる。
(ハ)日本のNGO自身が抱える問題点
11月26〜28日までロンドンで開催された日英NGOパートナーシップ会議に個人の資格で参加し、15の本邦NGO代表と実際に話す機会があった。また、インターアクションでは日米NGO協力関連の情報が入手できる。その中から、日本のNGO自身が抱える問題点を次の通り整理した。
- 日本のNGO活動のインセンティブは「目立つこと」であり、その手段として開発援助を行っているという側面がある。例えば緊急支援の場合、いち早く現場に行って自分たちの活動をアピールすることが重要で、その中では他のNGOとの協力関係は考えられない。それが問題である。
- この結果、NGO同士の足の引っ張り合いが起こり、NGO同士が協力を行うという雰囲気になっていない。ここ数年、かなりの数のドナー・NGO会議が東京をはじめ各地で開催されており、これがある意味でNGOの業務を妨げている面があるが、それに対して米国の場合にはNGOの相互協力により対応している。例えばインターアクションは、会員(NGO)のコンセンサスにより、情報を集めて分け隔てなく共有し、またインターアクション自体が会議の場を設けて国務省、USAID、国連機関等を招いてNGO間の調整を行い、目的に達成していこうという動きがある。
- また、NGOの世代格差の問題がある。第一は、NGO内部の職員間の世代格差である。全共闘世代のNGO職員と、ポストバブル世代90年代に入ったNGO職員の間で、大きな世代格差が生じている。第二は、NGOの組織間の世代格差である。開発NGOには、1970年代のインドシナ難民問題を契機に生まれたNGOと、1990年代の国際社会の変革の中で生まれたNGOがあり、その間には世代格差がある。NGOの組織間には、活動年数に基づく暗黙の年功序列制があり、大きな問題となっている。大学の体育会系サークルに似た雰囲気があり、飲み会などでは、昔は違った、俺達は苦労したという狼藉も見られる。1990年代後半に生まれたNGOには、既存のNGOコミュニティと協力関係を築くメリットが感じられず独自の行動を取り、また政府と敵対するより協調し合ってポジティブに開発援助を推進しようとの意思が見られるものもある。その例として、ピースウィンズジャパンが挙げられる。
- NGO組織には、人事・財務管理等が未成熟で持続性に欠けるという問題もある。その理由として、NGO内の文化もあるが、NGOの理念、政策、戦略が明確化されていないことが挙げられる。目立つことが目標となっている場合も多く、理念、政策、戦略を前面に打ち立てて一貫性のある動きがとりにくいことがままある。
- 客観性に欠け、活動内容を他者に納得できるように説明出来ない
という問題もある。途上国では、ドナーをはじめとして様々なアクターが様々な形で関係と役割を持ち、援助を行っているのが現状だが、自分が先週出席した日英NGOパートナーシップ会議の日本側NGOの中には、自分たちと途上国のコミュニティの間で全てが完結し、その国の社会経済状況、セクターを横断しての状況等、全体像を把握した上での自分の位置づけを考えていない。この結果、活動の意味合いを第三者に納得できるよう十分説明出来ていない。
- 更に、国際交流型NGOから脱却できず、専門性に欠けているため、他のNGOと対等なパートナーシップを結べない。自分自身日米NGO間の「お見合い」を担当しているが、「仲人」の力量を発揮する以前の問題として、日本のNGO側から活動の意義につき客観的な説明を受けられず、自分自身どのように米国NGOにつないだらよいのかわからない。そのような状況の中で、パートナーシップの相手方である米英のNGOは、多くの場合、下心があり、日本政府の資金を日本のNGO経由で得たり、日本のNGOを通して日本政府や国民にアドボカシー活動を行ないたいと考えている。これでは真のパートナーシップは結べない。
- 日本のNGOは「人材不足」、「予算不足」といっているが本当にそうであろうか
。日本人大学生の中には、国際開発分野で華麗な活躍をすることを夢見て英米の大学院に進学して日本に帰ってくる者もいる。しかし彼らの心を日本のNGOはつなぎとめられていない。予算不足で薄給だとしても、仕事を通して得ることがあったり、自分の意見を組織に反映できるなど、やりがいもあり組織が魅力的であれば、人はついてくるのではないかと自分は考える。予算についても、かつて自分はジンバブエで主に現地NGOに予算をつける仕事をしていたが、大使館や外務省に予算は確保されており、何時でもNGOからのアプローチを待っている。しかし、現地NGOから出されたプロポーザルには、アイディア不足、政府側へのアプローチ戦略不足、NGO間のコーディネーション不足、好意的な大使館担当官ですら説得できない詰めの甘さ、勉強不足等が頻繁に見られた。同じことが日本のNGOにも言えるのではないか。
- また、言語、文化の問題がある。NGOは英語が下手というが、英語が出来る出来ないの問題ではない。NGOには英国人と何ら変わらない英語を使う人もいるが、説明振りに客観性がなく、サークル活動の感覚で外国に進出してくるため、第三者に受け入れられない場合も見られる。
(4)ドナーと日本のNGOが解決すべき課題
ドナーとNGOのそれぞれが今後解決しなければならない課題を考えるに際しては、背景として日本政府による「NGO支援バブル」のおそれがあるという事実を大きく認識しなければならない。例えば、日英NGOパートナーシップ会議の参加者の中には、会議の参加のみならず、英国にただ来たかったという人もいたようである。人間なので私心をなくすことはできないが、チェックしていくことは必要である。政府のODA批判をしていたNGOが、ODAの利権に入り込んではいけない。
また、NGOはその国の社会構造やシビルソサエティの歴史の中から生まれ、変化するものであって、またドナーと途上国政府の力関係によって異なって当然のものである。現在、日本のNGOは英米のNGOから学ぼうということで各種の研修プロジェクト等が行われているが、英米のアプローチが日本のNGOに本当に当てはまるのか、十分に吟味する必要がある。
(イ)ドナーの課題
もし日本のNGO支援が日本国民のODA批判に対処する形で始まったとすれば、非常に危険である。それでは真のNGOは育たない。政府は、「なぜ」、「どのように」NGOとパートナーシップを結び、援助を行うか、明確な政策を提示する必要がある。そして第三者にもわかる整合性のある戦略を立てなければならない。
このためには、現場を知るための方策、NGOの審査・モニタリング能力の向上、情報収集能力の向上(NGO内外のうわさ、評判など公の会議では話されないことこそが重要)、そしてドナー側組織内部・組織間の調整と情報共有が大事である。
(ロ)日本のNGOの課題
他方、NGOの側としては、国際交流的な開発NGOから脱皮し、専門性を持ち、途上国のコミュニティだけでなく、他国のNGOやドナーとのコミュニケーションを図り、交渉能力をつけることが重要である。大学のサークルの延長であったり、開発ツーリズムの大衆化(NGOがお茶の間の人をつれて井戸掘りや学校建設の現場を見せたり、病院に余ったベッドを送る等)で良いのか。専門性がなければ、日本のNGOはどんどんマージナルな存在になっていってしまう。
最後に援助に関わる全ての関係者に対する説明責任を果たすことが重要である。NGOとA村、B村で完結せずに、実施するプロジェクトの置かれた文脈を考えに入れて円熟した説明を行う必要がある。
(5)おわりに
以上、率直に日本のNGOを考える材料を提供させていただいた。NGOの問題は、同時にドナーの問題でもある。昨今NGO支援のための予算は増加しているが、ドナーが明確な戦略をもってNGOと向かい合い、国際社会のダイナミズムの中でNGOを育成していかないと、NGOの利権に対する批判が国民から生まれるおそれも考えられる。今は日本のODA転換期であり、その中でNGOが重要なプレーヤーであると考えるからこそ、今回意見を述べさせていただいた。
2.席上出された意見
(1)日本のNGOの歴史・現状
- 昨年NGOの人に、大学でNGOの歴史という講義をお願いしたことがあるので、その内容をご紹介したい。以前日本にNGOは存在していなかった。70年代後半までは、平均的な社会人は良い大学、良い企業に入るという文化であり、NGOに入るのは社会からのドロップアウトという認識であった。しかし、1回目の波は、ベトナムのボートピープルが出てきた時に来た。日本に来たボートピープルにどう対応すべきか、日本として何が出来るのか、という動きが起きて、80年代はじめにNGOの最初のムーブメントになった。次に、2回目の波は、阪神淡路大震災で、日本全国でボランティアが生まれ活動した。このいずれについても、NGOのミッションがあり、問題に自ら主体的に関わり達成するといった活動が多い。例えばベトナム、中国、バングラデシュに資源を投入して達成している。あくまでボランティアのグループであって、専門性が薄く、他者との関係に拘らず、困っている人の救済が発生の動機で自己完結的である。
(2)NGOの人材育成
- 日本のNGOにはプロフェッショナルがいない。1年前の話だが、NGOのプロのスタッフは日本全国で300人くらいであり、NGO組織から給料をもらっている層は薄い。世銀等とのパートナーシップのために人が貼り付くと、人手不足でNGOの活動自体ができなくなる。
- 英国ではNGO職員と大学教員とドナー職員のポジションを自由に移動できるような雰囲気があり、大変良い。日本もこのような形になることが望ましいが、そのためにはNGOのステータス確立が鍵である。
- 言葉の問題について、外国に出て貧しい人を助ける以上、相手に迷惑をかけては困る。少なくとも英語を使う場所が多いので、英語の能力を付けるなり、通訳を雇って予算を請求するという制度にした方が良い。
(3)NGOの予算
- NGOの予算規模は小さい。統計によれば2年前のNGO予算の上位3−4位までは国際NGOで10−20億円程度。日本発のNGOで出てくるのは5−6位で、年間2−3億円程度。上位10位でNGO全体の資金のほとんどを占めている。
- 日本のNGOには予算が不足している。これは米国と日本の大きな違いである。米国では間接費が6割までもらえる。日本のNGOは従来ではゼロであり、今後の改善も徐々に進むものと理解している、政府がもしNGOの活動を支援したければ、間接費もまかなわなければならない。特に、NGOの経験が小さいほど間接費が必要となる。もっと間接費を出せば、プロフェッショナリズムが出てくるのではないか。
- 本年5月のホノルルでの日米NGO協力会合でも、間接費の支援の必要性については日本のNGOが強く問題提起をしていた。日本政府として、これからNGOにはコンサルタントのような専門性をもって開発援助に関わってほしいと考えるのであれば、今までのようにNGOはボランティア団体なので間接費は払えないと言ってはいけない。コンサルタントには間接費は認めており、これと差を付けるのでは、長期的な意味でNGOの力をつけるのは難しい。ただし、自分が米国NGOに務めていて思うことは、NGOといっても実際にはコンサルタントと同様に事業を行う必要がある中で仕事をしていると、NGOの特性は何か考えさせられる。実際、教育等各分野で、NGO・コンサルタントを横断する形で、ロビイング等のためのコアリションが出来てきている。
- 国際協力へ向けての日本の予算を守るという視点は大事である。コンサルタントとNGOの垣根を低くして、NGOというくくり方でなく、民間セクターないし市民社会というより広い枠で議論して、予算を配分していく方が適当ではないか。
(4)NGO間の競争、NGOの専門性
- NGOは民間の団体であって政府でない。公共性を有しているとしても、健全な競争があってよい。足の引っ張り合いということではなく、競争していくうちに質が高まるようなシステムができないか。具体的なアイディアとして適当かわからないが、OECDで行っているピアレビューのように、NGOが相互にピアレビューすることによって、お互いを客観的に見られるのではないか。是非やってみては如何。
- サークルのようなNGOも日本に多数ある。もっとプロになれば良い、という議論もあると思うが、米国にも市民社会が豊富なほどクラブのような集まりがあり、それはそれで大変良いと思う。自由な社会で人が集まり好きなことをやるのは当然であり、他の人に害を与えない限り何をやっても良い。開発効果がなく、開発ツーリズムとなっても良く、好きなことをやればよい。他方、政府が支援するNGOは、限定すべきである。インターアクションでは、160団体の全てが25頁ほどの厳格な基準を遵守している。サークルのようなNGOはこの基準では入れなくなる。このような二重構造のもとで、NGOがそれぞれ違う方向に進化していくのが良い。NGOをひとつのコミュニティにすることは考えない方がよい。
- 日本のNGOを他国のNGOと比較した経験をお話ししたい。OXFAM、国境なき医師団、CARE等は学者や専門者が多く、ボランティアやコンサルタントを通じて理論的な話ができる。日本のNGOはその面が一番弱い。また、ビジネスライクにやるよりサークル的なNGOが多い。お金の出し入れについても丼勘定が多い。例えば、やりたいプロジェクトのプロポーザルを書く能力が少ない。木を植える団体、砂漠を緑にする団体、太陽光発電の団体などある。NGOはビジネスの団体として独立した力をつけないと、良い人を集める魅力がついてこない。経済の話が出来る人、法律の話ができる人がいない。恒久職員でなくても良いから、ボランティアとしてでも人を動員してほしい。日本のNGOを相手にしたが、そのような能力が欠けているものが多い。OXFAMは意識があり規模も大きく歴史も古いので比較しては悪いが、やはり違う。日本のNGOにも力を付けて欲しい。
- NGOの専門性、専従性を否定すること、すなわち、NGOの活動「のみ」を通じて、必要な専門性を涵養するといったアプローチに必ずしも拘らないことにひとつの鍵がある。一人の人がいくつかのところに自由に行ける。本も読めるし、現場も踏める、NGOとしての顔も持つ、という人がNGOに関わる、といったかたちが今後益々増えてくる。
(5)米国のNGO
- 日本のNGOが内包する組織的問題の多くが、NGOが縦構造に支配されていることに起因するようであるが、NGO間の横の構造を強化する上で例えば米のインターアクションのような会員制ネットワークのようなシステムが効果的であろう。果たしてそのような横のネットワークが全くのNGOの自主性から生まれうるものなのか、それとも立ち上げにはある程度の政府のリードや動機付けが必要なのか。米のインターアクションの場合はどのように形成されたのか関心がある。
- 米国では、1980年代の始めに開発型NGOのネットワークが出来、それとは別途に難民支援型NGOのネットワークができた。これらの2つのネットワークは、活動内容や資金を提供する政府機関との関係が類似しているNGO同士に共通の利益が生まれたことから、それぞれ形成されたものである。1984年に両者が合併してインターアクションが出来たが、両者を一緒にすることでネットワークが広がり、参加団体の相互交流が更にできるようになった。ただし、インターアクションには難民委員会、緊急委員会、開発委員会、女性地位向上委員会等があり、別々に活動している。そして、同じ団体がインターアクションの全ての委員会活動に参加していることの方がめずらしい。NGOの目的、体質はそれぞれ違っており、ひとつに整理するのは困難である。
- 米国のNGOはUSAID、国務省等から、NGOセクター強化のためということで、かなりの支援を受けてきた。その上に、民間財団からの資金や出版物の収入もある。
- インターアクションの委員会のうち、うまく機能している委員会は、緊急支援や難民問題等、会員NGOの利益が一致し、共通の目標に向かって話を進めやすいものである。他方、うまく機能していない委員会は、開発全般、金融と開発等で、会員NGOのベクトルが違うため、ひとつのコンセンサス、ひとつの行動を起こすのは難しいものである。
(6)NGOの世代間の問題
- 世代間の問題については、NGO内部の世代格差はあと10−15年で解消するのではないかと思う。古い世代には、お山の大将的な人が多く、自分自身もやりにくい。自分自身の経験のみからも、批判が強すぎるのではないか、ただ時間とともに解決するとの希望を持っている。また、NGOの中での新しい、古いという問題もある。競争させて淘汰させるより仕方がない。その中で、予算をもってきて説明して実行できるところを選ぶべきである。
(7)NGOから政府の経済協力へのインプット
- 開発パートナー事業をJICAとシャプラニールをバングラデシュで立ち上げる等やった経験から、日本のNGOとODAとの関係につき建設的な提案したい。自分は開発パートナーシップ事業でジョイセフ、シャプラニールの2つの開発現場をバングラデシュで見てきた。双方の共通の問題点は、NGOが独力でできないことがあった点である。これらのNGOは現地政府から距離を置いた活動をしているが、他方で政府はJBICは農村インフラ整備をしているところ、その資金配分につき現場の声を届けられていない。(現場でやっていると、水はけから見ればとんでもない場所に橋が架けられたりする。)資金配分はトップダウンで硬直的である。NGOの立場は政府から距離を置いているので強いことを言えない。その面でODAに期待している。これは、ジョイセフ、シャプラニールの双方から聞いた。
- ODAとNGOの間の、資金援助を通じた繋がりを強化することだけがODAとNGOの連携強化の姿ではない。NGOは各団体とも設立・発展してきた背景が異なり、活動の背景となる団体のミッションも異なる。ODAからの資金提供を受ければ、ODAの目的から独立でいることはできない。こればその団体のあるべき姿として必ずしも適切ではない。(私は、体育会サークル的NGOでも、その存在には肯定的である。)たとえODAとの間に資金授受の関係が存在しなくても、NGOはその団体としてのミッションを大切にして独自の活動を継続しつつ、「対話」「協議」を通じてODAとの関係を強化していくことができる。
- 日本がバングラデシュ政府と政策協議を行い、国別援助政策計画を作る中で、現地のNGOと協議をする場をつくってほしい、現場の声を政策協議の場で話をしてほしいとの要望があり、バングラデシュではそのような動きがJBIC、JICAで始まっている。ただし、日本のNGOの弱いところ、すぐに成果が挙げられるようなところには、ODAの役割が考えられる。アフガン復興についても、今後の復興計画に日本のNGOの声を届けるという点に日本の政府の役割があると思う。ODA改革懇談会の報告でも、そのような視点をはっきり出していただければと思う。
- 途上国の新しい議員は、何やればよいのか必ずしもわかっていない。新代議士のキャパシティ・ビルディングや、地方の行政職に対して地方レベルでの横のコーディネーション、縦割りの中でできればより住民に近いところで横のコーディネーション、住民とのコミュニケーションを良くしていくことが重要である。
(8)先進国の社会のあり方も視野に入れたNGO活動
- 途上国の困難な状況に先進国が少なからぬ影響を与えていることに鑑みると、先進国の社会のあり方自体を見直していくということが重要な意味を持つ。そのような文脈において、地球市民としてのあり方をゲマインシャフト的に考える、といった新たな社会カテゴリーとしてNGOのあり方が注目を浴びてくる可能性があろう。
- パートナーシップからグローバルシティズンアクションへ、という研究のレベルだが、グローバリゼーションの流れの中で、国際化したシビルソサエティが開発に果たす役割を分析し、先進国・途上国の問題を考える動きが英国の開発学界の中で起こっている。具体的にはサセックス大学の開発学研究所(IDS)やロンドン大学(LSE)の
Centre for Civil Society等で研究がなされている。
(9)NGO支援メカニズムの改善
- NGOが育つには、まずドナーが変わる必要がある。ドナー側は、プラニングとモニタリングシステムを確立することが喫緊の課題である。受託側からも国際競争力のあるプロポーザルがあがって来ないし、委託側にもプロポーザルの良し悪しを判断できないスタッフが多い。外部委託が大きな流れなら、品質管理の手法開発や、人員再配置が課題である。
- USAIDは「子供の生存」プログラムをNGOに委託しているが、5人の専任スタッフがフルタイムで働いてもこなしきれない。プロポーザル数十件をUSAID内外の専門家に読んでもらって順位をつける、また採択された団体は半年後に基本計画を出すが、これも揉む必要がある。落ちだ団体からは何時間も粘られて対話をする。この対話は必要とわかっているからやっている。
- ある国のあるセクターにつき、民間からのプロポーザルを出してもらい、それを実施して運営してもらう。メッセージがない、理念がない、人がいないというが、援助機関としては、政策・何に重点的に予算を配分していくかという戦略を出すことに精力を集中し、それを個々のレベルでどのように実施するかということは、むしろ民間・市民社会の担い手からアイディアを出してもらい、良いものからファンディングしていく、というアプローチをとるべきでないか。その結果、競争原理が生まれるし、ドナー側も鍛えられていく。このようなメカニズムを作ることは可能であり、実際JICAは民活プロ技協を本年から導入している。
- 経済協力の20年後、50年後の姿を考えれば、コンサルタントのように途上国の現場でプロとして支援に従事する人と、専従性はないが何らかの関わりがある人に分化していく。前者について、建設的な競争原理の確立を公的セクターが育成助長するといったアプローチ、具体的には、エコファンディング、ピースファンディング等のメカニズムを作って専門家集団をビルトインし、環境、開発に前向きなことをやっている人にどんどんお金を出すというメカニズムの構築を支援していくことなどが考えられる。
- 日本政府が予算をつける以上、NGOにもっと健全な競争させるとともに、事後の審査をしっかり実施すべきである。会計のアカウンタビリティが少なく、本来はまずはNGO自身の内部の審査をしっかりさせるべきである。