ワシントンDC・ODA改革ランチ
「日本の開発研究の課題と今後の方向性−ワシントンDCの視点−」
2002年1月25日、米国ワシントンDCにて、官・学・民・国際機関の経済協力実務家を中心とした有志約20名が、個人の資格でODA改革(日本の開発研究の課題と今後の方向性)について昼食を交え意見交換を行ったところ、概要は次の通りです。
【ポイント】
- ODAの量的拡大が困難な中、費用対効果の高いODA戦略を確立するため、開発研究の強化は(1)ODAの質の向上、(2)途上国・先進国への説明・広報という双方の意味で重要である。
- 具体的な政策のアイディアとしては、次のものが考えられる。
- 政策・実務者と研究者の協力体制の構築による政策志向の研究の推進
- 日本の開発研究機関の協力体制強化
- アジアの開発研究の推進、PRSPを具体化する「アジアモデル」の構築
- Global Development Network(GDN)の活用
- その推進に当たっては、日本の開発研究のケーススタディ志向のメリットを生かしつつ理論面を強化すること、研究者の英語のコミュニケーションスキルを改善すること、またそれらを実現するためのインセンティヴを与えることなどに留意する必要がある。
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【本文】
- 日本の開発研究の課題−キャパシティ・ビルディング
(Global Development Network (GDN) シニアエコノミスト 川辺英一郎・朽木昭文)
- なぜ「キャパシティ・ビルディング」が重要なのか?
- ODA戦略の確立
日本の財政状況は厳しく、対外収支も黒字が縮小していく傾向にあり、製造業も国際競争力を失ってきている。このような中で、ODA予算の量的拡大は困難であり、円安が進めばその額は更に減少することとなる。このため、費用対効果の高いODA戦略を確立する必要がある。
このためには、企業にたとえれば、(a)ボトムラインとして「ODAの開発効果の向上」という結果(収益)を出すこと(=質を上げること)が極めて大事であるが、(b)それに加え、カスタマー・リレーションズ、インベスター・リレーションズ(CR/IR)に相当する広報活動、即ちODAの開発効果の向上について世界に説明すること(=発信すること)が重要である。このいずれにとっても、開発研究は大きな役割を果たす。
- ナレッジ・エコノミー(知識集約型経済)
1990年代の経済学では、開発について2つの動きが注目された。第一に、成長理論の発展の中で所得分配の議論がクローズアップされたことである。これは、先進国内、そして先進国と途上国との間での格差が一層拡大し、無視できなくなったことによる。その中で、知識こそが重要であり、知識を蓄えることが成長の源泉と認識されるようになった。これは、IT(情報通信技術)の活用につながっていく。現在、ITの発達によりグローバルに情報収集・交換を行うことが可能となっており、ローカルな知識を地球的規模で利用できる環境が整ってきている。開発研究も、この活用により一層効果的な政策を立案することが可能になってきている。
第二に、経済成長における制度インフラの重要性である。例えば、市場経済移行国において市場経済化が進んだが、独占禁止法がないところで民営化しても、独占企業ができるだけになってしまうなど、制度インフラがなければ改革の効果が期待できない。この制度作りには、人材の育成が不可欠であり、開発研究の果たす役割は大きい。
- PRSP−「成長」も「公平」も?
現在、途上国にPRSP(貧困削減戦略ペーパー)の作成を促す動きが世銀を中心に始まっている。各国や国際機関の思惑もあり額面通りに受け取るのは難しいが、貧困削減が問題であることは確かである。この中では成長は貧困削減のためのツールとして位置づけられ(pro-poor growthという概念が多用されている)、具体的にはインフラより教育・保健等が重視されている。日本のODAは伝統的にはインフラを中心として、成長を重視しつつ貧困削減に一定の成果を上げてきたが、今後は、PRSPの文脈で日本のODAの有効性を位置づけて主張しないと、世界に通用しない時代になってきている。
また、PRSPでは途上国の主体性が重視されており、「エンパワーメント:途上国に能力と権限を与える」という理念が重要となっている。途上国の研究者についても人材育成により政策立案能力を高めることが喫緊の課題である。先進国からの知的支援が必要となっており、日本においても開発研究を強化しなければならない。
- アジアネットワークの強化
21世紀は、世界がグローバル化してヒト、モノ、カネなどの面で一体化が進むと予想されるが、それを先取りする形で、ヨーロッパ、アメリカでネットワーク化が進行している。ヨーロッパはEUでユーロが誕生する一方、東欧・旧ソ連の市場移行国も取り込んでいる。アメリカはNAFTAに続き、南米を含むFTAAが推進されている。このように、世界統合の前に地域を固めることが大事である。
一方アジアでは、各国間の経済、政治、文化の違いが大きいためネットワーク化の動きが鈍く、ASEAN+3(日本、韓国、中国)を中心とした「アジア・ネットワーク」の強化は重要な課題となっている。日本とアジア各国の研究者の連携を図って、キャパシティ・ビルディングを推進することは、その一助となる。
(2)どのような政策アイディアがあるのか?
- 政策・実務者と研究者の協力体制の構築による政策志向の研究の推進
世銀の強みは、政策・実務担当者と研究者の相互交流・連携が日常的に行われ、多様なアイディアの検討が可能なことである。現実の課題が研究者に伝えられるとともに、最新の研究成果が政策・実務担当者にフィードバックされる。例えば、世銀はいろいろな部局でいろいろなセミナーをやっており、自分の所属する経済分析局(DEC)では毎週ブラウンバッグ(昼食持ち寄り)の経済分析セミナーが開催され、米国の大学教授や博士課程の学生が論文を発表して、世銀のスタッフと討論を行っている。この過程で、様々な国から様々な知見が入ることとなる。こういった知的交流を背景に、世銀ではスタンダードな経済理論による開発事業の意義付けを行い、世界に通じる形で世銀の政策の正当性を示すことにより、理解者・支持者を獲得している。
日本では、政策・実務者と研究者の連合が弱い。内容面では、日本においても、「援助哲学(理念・思想)」と「ケーススタディ」を結びつける「フレームワーク」の体系的な研究を強化する必要がある。日本には「援助哲学」はある。また「ケーススタディ」もある。問題は、日本が行う具体的な援助がなぜ良いのかについての研究がないことである。世間の人は、通常の経済学で説明するようなペーパーや実証分析をしないと、哲学や実例だけでは説得されない。
この「フレームワーク」の研究により、日本の開発援助の意義を裏付けるストーリーを作り、ブランドイメージを高めることが効果的である。一例としては、「日本の援助による成長促進は貧困削減に役立つ」といった形で理念と具体例を結びつけることが考えられる。例えば、JBICの北野氏は、インフラ整備によりジニ係数が下がるという研究を発表して、「インフラ整備は所得格差を埋める」ことを示した。JBICの研究なので割り引いてうけとめられてしまうと思うが、日本の大学の研究者やアジアの研究者が類似の発表をすることにより説得力が増す。また、このような研究は一つだけではダメであり、数多く、かつ幅広く行われる必要がある。
- 情報アクセスの強化、人材のネットワーク化
開発援助に関するODA文書・統計のウェブ・データベース化を日英双方で行い、世界中どこからでもアクセスできるようにすれば、研究を支援し発信を強化できる。日本が比較優位を持っている「ケーススタディ」の研究成果も同様に海外に発信することも重要である。
また、人材のネットワーク化も重要である。ナレッジ・エコノミーにおいては、知らないアイディアに触れること、知らない人と話をすることが一番重要である。同じ人と話しても新しいアイディアが出てこないが、違う人と話すことでアイディアが創造できる。日本の研究者は身内で固まる傾向があるが、国内・海外のコンファレンスでの積極的な研究発表(他流試合)をすることにより、この点が改善されよう。世銀などは研究者を丸抱えしておらず、外部からコンサルとしてアドホックで雇い知識だけを使う。例えば、研究者・研究機関に関する情報のウェブ・データベース化し、ネットワークの共通財産とすることも一案である。現在日本では、特定のプロジェクトをやる時に、人づてで紹介してもらうのが普通だが、データベースの構築により世界に散らばっている日本人を含めて組織化し、人材を有効利用できる。
特に、海外勤務経験者のネットワーク化は有効である、海外勤務経験者の多くは、当地で博士号、修士号を取得して日本の研究機関や大学等に勤務しているが、彼らは世銀等のインサイダーとなっており、この財産を利用しないことは日本にとってマイナスである。例えば、海外勤務経験者には、このネットワークを介し、非公式なチャネルを通じて国外の国際開発機関と情報交換を行うことで、開発援助に関するグローバルなコンセンサス作りに日本が影響を与えることも可能になるのではないか。
- 日本の開発研究機関の協力体制強化
JBICの開発金融研究所は、インフラ整備に関するJBICの実績を背景にしており、またGlobal Development Network(GDN)の日本ハブでもある。JICAの国総研は、人材育成(キャパシティ・ビルディング)に強い。JETROアジ研は、アジアの研究者・研究機関のネットワークを持っている。その他、FASIDや大学、NIRAもある。問題は、これらが日本として1つになっていない。JBICがGDNの日本ハブになっているので、とりあえずそれを使うのも一案である。インフラ整備、人材育成、研究協力等についてオールジャパンのチームを作ってはどうか。
- アジアの開発研究の推進、PRSPを具体化する「アジアモデル」の構築
アジアについて日本は豊富な知見があるので、東アジア各国の開発研究機関(シンガポールのISEAS(GDNの東アジアハブ)等)やアジア開銀研究所、国連大学などと連携し、アジアの急速な経済発展の理由を解明する。これに基づいて、他の地域でも適用可能な政策を提案することは、多くの途上国にとって有益なことである。更に、「アジア域内の貿易・投資の拡大や共通通貨圏構想」といった将来的な課題の研究について、各省庁や研究機関がそれぞれこぢんまりと行うのではなく、国内・海外と幅広く連携し骨太の成果を出して、国際的にアピールすることも視野にいれて良いのではないか。将来的には、アジアで貿易・投資・通貨が一つの所に向かうよう、研究を積み上げていくことが重要である。日本経済は成熟しきっており、アジアと有機的に結びついて共に成長しなければ、日本の成長はない。ただし、地域主義を強く打ち出すと批判もあり得るので、オープンな地域主義とする必要がある。
この関連で、現在「理念」や「手続き」ばかりで「内容」の充実が課題となっているPRSPについて、これをアジアの経験を活かしつつ具体化する「アジアモデル」を構築して、アジア内、更には他の地域に提示していくことも一案である。これは日本としてアピールできる。実は、2000年に第2回GDN総会が東京で開催された際、日本側の資金提供によりPRSPの研究を打ち上げようとしたが実現しなかった。その背景には、80年代の世銀の構造調整融資(SAL)は成功した場合だけではなく、世銀のアプローチに対する不信感が残っていたこともあったと思う。貧困削減戦略といっても、貧困者が多すぎるので成長戦略と大差ない。成長戦略を考え実施に移せるアジアの人を見つけてキャパシティ・ビルディングを行い、取り込んでいくことが課題である。
- Global Development Network(GDN)の活用
GDNは、世銀から分離した研究者と政策担当者のネットワークで、7つの途上国ハブ(アジアはシンガポール)、3つの先進国ハブ(ワシントン・ボン・東京)を持っており、途上国研究者のキャパシティ・ビルディングによる政策立案能力向上に重点を置いている(宮沢大臣が始めた開発賞、研究コンペ、研究プロジェクト等)。また、インターネットを最大限に活用し(www.gdnet.org)、人的交流も重視している(過去3年間、ボン、東京、リオで年次総会を実施、来年はエジプトの見込み)。途上国を含む世界の研究所・研究者のネットワークとしてそれなりのものが出来上がっているので、十分使える状態になっている。日本の研究機関も東京(JBIC)とシンガポールのアジアハブを上手に活用すると良いと思う。
- 席上出された意見
- 日本の開発研究のケーススタディ志向について
- 理論と実践の橋渡しを行おうとしても、日本の開発研究は欧米とスタイルが異なる。3年間アフリカで経済協力を実践し、その後ワシントンで実践に基づいた研究を行なうため論文を書いた。欧米流に、まず理論を提示してケーススタディに話を進めたが、日本の国際開発学会の学術誌の査読者からのコメントは、理論について一切コメントがなかった。結局、理論中心では日本で通用しないことが判明し、ケーススタディを中心に据えて全面的に書き換えざるを得なかった。日本の研究機関の高名な研究者と話しても、「日本の援助には日本の良さがある。日本の文脈の中で開発研究を進めてみたい。」との考えであった。これで研究内容に国際競争力があるのか疑問を感じた。日本国内の実務者と研究者の双方が内向き志向であり、これを打破し、 開発分野で国際的に共感を得たり、評価されたりするような研究を発表したり実務で活躍することは出来ない。
- 日本ではケーススタディをやらないと学術誌に掲載されず、当地では7割を理論にしないと論文にならないというのは、どちらもおかしい。ただし、実際にはケーススタディで事実を積み重ねていく方が役に立つことも多い。アジ研で最も需要があるのは、中国の投資調査をやっている人であり、理論を構築しなくとも、日々の事実を積み上げて変化を見ていれば、実務上役に立つ。また、ケーススタディで事実を積み上げた上での議論は迫力がある。例えば、モロッコで初等教育の就学率が上がらないのは、水道施設がなく子供が水くみ労働をしなければならないからであり、就学率を上げるには水道施設というインフラを作る方が効果的があるといった話もある。
- また、国民一般に対しては、理論を書くよりも、事実をなぞって書く方が売れるし、その方が楽である。結果として、日本人の研究者は理論面はなかなか育たない。
- 日本人の感覚からいくと空しいかもしれないが、経済学の理論があり、実証研究があり、最後にケーススタディがないと、世界は相手にしない。実際の現場でODAの質の向上に本当に役立つのはケーススタディだが、対外説明・発信のためにはこのような理論面での整理がIR・CR(広報宣伝)として必要である。英国も米国も世銀をうまく使っているが、日本はそもそも英語が出来る人、理論・実証・ケースをつなぎ合わせることができる人の層が薄い。だからこそ、海外経験者、特に世銀にいる(いた)人が重要である。
- 英語でのコミュニケーションスキルについて
- 日本は、英語でのコミュニケーションスキルという下部構造ができていない。世銀の中で英語で業務を遂行するのはそもそも大変だが、日本人スタッフはレポートの書き方すら習熟していないか、あるいは経験がないことが多い。世銀スタイルには独自のものもあるが、大体において、大学・研究機関等でも使われている様式に大同小異であり、表現・用語・脚注など、技術的な習得はそれほど難しいものではない。日本のコンサルタントで、世銀スタイルのレポートが書ける人には、まず出会った経験がない。途上国の現場で苦労した実務家は数多くいるが、かれらは、政策の議論がほとんどできないか、関心がない。他方、政策の議論が得意なはずの学術界では、日本特有の土壌での議論とか、旧聞に属する話しが多くがっかりすることも少なくない。
- 現状を打開するには、理論面について、日本の学会の研究者に英語で発表するインセンティヴ作ることが中長期的な、ひとつの解決策である。竹中平蔵大臣や、島田晴雄慶応教授は英語がうまいが、実務であまりに忙しい。英語で理論面でのペーパーを書き、発言・主張できる研究者を育てることが大事である。そして、そのような研究者と実務の橋渡しをする仕組みをつくる必要がある。通常、そのような研究者は、英語、ペーパー、議論等コミュニケーションスキルがついていかないし、そこまで苦労してやらなくても日本で食べていける。自分が担当している旧ソ連・東欧でも開発の仕事は少なからずあるし、日本の研究者が参加できる機会もある。声をかけても応じてくることは少ないが、世銀職員として、彼らのキャパシティ・ビルディングを地道に行うしかないと思っているし、その支援をすることには吝かでない。
- 実務家が理論に習熟するか、研究者が実務に習熟するか、いずれかが必要である。企業が開発理論に関心を持つことは、基本的によってたつところが異なるのでまず難しく、せいぜい商社の経協部隊が仕事をとるため理論に近いことをやる程度であるが、研究者の実務への進出については潜在性はあるかと思う。欧米の例では、経済・経営・開発関係の教授は商売熱心である。スタンフォードの大学教授の例を挙げれば、1年の3分の1はスタンフォードで教鞭を執り、3分の1は本を執筆し、3分の1は世銀、EBRD等でコンサルタント業務を行う。彼らは、実際の援助がどう動いているかに関心を持っているし、コンサルタント業務の報酬が高い。世銀でブラウンバッグ(昼食持ち寄り)のセミナーを開いても、半分以上が大学の教授である。日本の研究者も、英語で説明できるようになり、自信がつけば、機会があれば、もっと表に出て活躍できるのではないか。
- 世銀で勤務しコミュニケーションスキルとネットワークを得た日本の研究者にとって、引き続き世銀のような場に留まるインセンティヴが必要である。日本の開発研究者の場合、世銀で勤務した後、世銀での議論をフォローして紹介すれば、日本では業績とみなされる。このような日本の研究者に、世銀の前線でもう一度活躍するインセンティヴは乏しい。この人達を日本の財産として活用するためのインセンティヴを如何に考えるかが課題である。
- 政策・実務者と研究者の連携強化
- 我が国の開発援助体制をめぐる課題の一つとして、研究と実務・政策立案との連携が十分でないことが挙げられる。このことは、研究者と実務家・政策立案者の双方の弱点につながっている。すなわち、政策・実務の動向やニーズに疎い研究者、洗練された戦略作りや理論武装の苦手な実務家・政策立案者という構図である。そして、その両者が国際的な競争の場において不利益を被る結果となっている。なぜなら、欧米には、開発援助の実務や政策を熟知した研究者、理論武装の得意な政策立案者等が多数存在するからである。このような彼我の差は、研究者と実務家・政策立案者との交流・協力の質的・量的な差異によるところが大きい。
- 我が国の現状では、実務家・政策立案者サイドから見れば、開発援助の実務や政策を熟知した研究者が少ないことから、彼らを活用しようという意欲に乏しく、逆に研究者サイドにとっては、理論動向や研究成果を理解し活用しようという政策立案者・実務家が少ないことから、政策や実務に関与しようという誘因に欠けるという、「鶏が先か卵が先か」的な状況になっている。
- この問題を克服するためには、研究者と実務家・政策立案者との間で、互いに相手に対する多少の不安や不満には目をつぶってでも、ともかく交流・協力を充実・強化するほかない。具体的には、両者合同のセミナー・研究会等から、人事交流、業務委託等の本格的な交流・協力に至る取組の充実が望まれる。また、両者に共通の課題として、英語によるコミュニケーション能力(ディベート、プレゼンテーション、論文作成等)の強化が必要である。
- 開発経済学で実務の役に立つものは少なく、世銀の開発経済理論ですら役に立つものはほとんどない。デビッド・ダラー氏は。過去10年の実証研究に基づき、「経済成長すれば貧困が減る」、「良い政策の国に援助すると効率がよい」という立派な研究をものしたが、これ以外の研究は実務的な意義があまりない。なお、慶応の吉野先生などは、インフラ・貧困等について実証データをもとに研究して頑張っている。
- 研究者、実務者に加えて政策立案者の3つに分けて考えては如何。また、インセンティヴシステムの構築、成果の検証(研究によって何が変わったのか)も重要である。更に、開発、経済的価値のみならず平和、安定から見たときの費用対効果も考えたい。
- 日本のODAの理論的裏付け・正当化について
- 日本の援助関係者の雰囲気を紹介すると、「援助哲学」と「ケーススタディ」を結びつける「フレームワーク」の必要性はその通りかもしれないが、欧米のアフリカでの援助失敗の経験に比し、日本のアジアでの援助は比較的ハッピーな成功体験であるため、日本はODAの理論的裏付けを説明し正当化する必要性をあまり感じていなかった。最近は、ODA案件への評価の重視という流れがあるが、たとえば円借款のプロジェクトでJBIC自身が評価すればインフラが重要との結論、NGOが評価すると住民環境破壊が問題といったように、評価主体によって結論のトーンが予め想像できてしまうようなところがある。ODA評価は必要であり、きちんとやろうとはしているが、アウトプットについては額面通り受け止められず、斜に構えて見てしまうところがある。
- ODAの理論的基礎について論文を書いても、インフラが貧困削減に役立っているなど、最初に結論ありきとなってしまい、批判を免れない。理論と実践をつなぐのは本当に難しい。
- 日本のみならず、世界中でODAの理論的根拠を示す研究が行われている。額面通りに受け止められなくとも、正当化は必要である。一番のポイントは、今後ODAが少なくともドルベースで減る中で、国内的説得は別な方法はあるにせよ、途上国、欧米向けのIR・CR(広報宣伝)は必要ということである。例えば、「PRSPには保健が重要である」と主張したければ、「知識が成長の源泉である。→エイズによる死亡率の上昇が、人的資本に蓄えられた知識を減少させる。→保健が重要。」というロジックを数学的なモデルを作ってもっともらしく立論することは可能であろう。どのような主張を行うにせよ、外国に向けて、やはり途上国の人や、海外の欧米の研究者を日本の理解者にすることは重要である。
- グラントとローンの比較につき具体的な研究成果の例はあるのかといえば、あればよいとは思うが、JICAとJBICが分かれていることもあり、適当な研究がないと承知している。少なくとも、英語で発表できる人はいないと思う。
- 世銀の開発研究への対応について
- 開発研究において理論的裏付けが重要というのはわかるが、新古典派的世界の下、どこの国でも民営化・規制緩和による市場経済化を進めるという、理論的には分かりやすいが画一的適用により現場では失敗した80年代の構造調整アプローチに比べ、近時のPRSPや制度インフラなどのアプローチは、個々の被援助国の事情に着目する分、社会学的な分野に入り込んでおり、経済的理論付けというのは難しいのではないかという気もするが如何。ちなみにアフガン関連で世銀がADB、UNDPと共同で行ったニーズアセスメントの概要を見たが、保健、貧困対策などの項目が並び、経済学者が慣れない社会学の仕事をしているような印象を受けた。もっともこれは、多様な人材を受け入れ世銀自身の性格が変わってきていることの現れかも知れない。
- 印象論であるが、世銀の対応もその時々の経済学の潮流、主要出資国の政治思想に左右される感じがする。1980年代の構造調整アプローチが、民営化・規制緩和推進という点で、レーガンノミックスやサッチャリズムと通じるところがあるように思えるし、PRSPのような考えは、クリントン政権や英労働党政権に対して受けがいいであろうことは容易に想像できる。現在の世銀の援助哲学は、あるいは長期的なトレンド上の変化かも知れないが、主要出資国の政治潮流が変わったり、総裁が代わったりすればころころ変わる短期的なものかも知れない。(たとえば、ブッシュ政権の世銀への政策とその世銀への影響はまだ良く分からないし、英国で労働党やクレアショート開発大臣がいなくなれば変わるかも知れない。)そういう冷めた見方もあり、日本としてどこまでPRSPに手間暇かけてつきあうかというかは確たる方向性が未だないように思う。
- また、日本国内における援助の意思決定に伴うワークロードの問題もある。個々の援助案件の意思決定にあたっては、様々なステークホルダー(NGO、政治家等)への説明に相当のエネルギーを割かれるのが実状である。これは日本独自の一種のCR・IRといえるかも知れない。このため、PRSPなど世銀の動きをフォローする余力には限られている。
- 開発研究の政治的側面について
- 市民社会(Civil Society)という言葉が開発分野で脚光を浴びていて、流行り言葉のように耳にするが、これは、90年代後半から英国の研究者やNGOなどが、英国の後押しもあり、世銀の市民社会やNGO関連ユニットに深く食いこんだ結果と考えている。かつての「参加型開発」「ガヴァナンス」「民主化と援助」などというイシューでも感じたのであるが、日本では流行が一段落したころや、下火になったころにはじめて「世銀がさわいでいるから」といって取り組み始める感がある。そのようなトピックが世銀で脚光を浴びるのは、世銀内外のいろいろな(外部のNGOだけでなく、各国理事や米国財務省などや、幹部職員などを含めた)アクターの働きかけや力関係があっての結果であり、その背景についても分析しておく必要があるのではないか。そして、日本の関係者は冷静に見極めて行動すべきでなないかと思う。
- アジアの中で開発研究をやっている人との関係を強化すべきとの議論は理解できるが、やはり世銀のような世界の開発研究の主流で日本が活躍することが大事だと考える。これができないことが、日本にとってのフラストレーションにつながっていく。まずアジアで仲良くしようというのは迂遠な感じがする。
- 貧困層の考えの反映について
- NGOとして草の根から見ると、対象である貧困層は、研究にどう取り込まれるのか。確かに世銀は地域横断的な経験を研究に組み入れられるという利点を持ってくる。また、世銀のスタッフは途上国出身者を含んでいるため、途上国の視点が包括されているかに思える。しかし、それらのスタッフの大多数は上層階級出身で欧米の高等機関で教育を受けており、貧困層の考えを反映しているとは限らない。日本人より良い生活をしている場合もある。アジア・ネットワークの構想についても、対象である貧困層がどう発展を考えているのかを取り込み、その真の底上げができるような研究を打ち出すことは出来ないか。(近年参加型研究(Participatory Research)として、開発の分野でも裨益者や様々なステークホールダー自身の見解を抽出する方法が試みられている。研究者でなくとも、たとえ非識字者であっても、特別な手法により研究の一端を担うことは可能である。)
- 世銀も一枚岩ではないが、効率と公平のうち、公平に少しシフトする動きもある。他方で、経済政策の良い国を支援する場合には効率を掲げ、アフガニスタンは公平だけに重点を置いている。アジアについては、貧しい人を支援しても、所得格差の問題があり、効率が上がらない。アジアの実業家を支援した方がGDPが上昇する。従って、すっきりと公平のところに重点を置くようになっていない。貧しい人を助ける方向に本当に行くべきか、決め切れていないと思う。
(以上)