これ以外に、GRIPS開発フォーラムのメンバーとして受動的に関与しているものとして、柳原教授のPRSP研究会、JBIC研究所、FASIDでの世界トレンドのフォローをしている研究会、財務省のIMF研究会・MDB研究会等が挙げられる。
(4)WSSDと将来を目指しての動き
- モンテレイでの開発資金国連会議で日本がイニシアティブを発揮できなかったのが現在の日本政府に影響を与えている。外務省経協局は、何かやろうという関心を強く持っており、現在相談を受けている。われわれが日本側準備の全体像を把握している訳ではないが、われわれの関係する部分を中心に述べたい。
- ここでは、本年の開発議題を左右するというよりも、WSSDを1ステップとして中長期につなげたいという気持ちがある。WSSDへのインプットといっても、今年分の開発議題はもはや出尽くしている。ミレニアム開発目標(MDGs)のために皆が資金を出すということで、米国やEUは財政的なコミットメントを表明した。議題は、全体量からどの国にどのように資金を流すかというセレクティビティに移っている。この中で、日本は欧米諸国や国際機関とは違うことを考えている。日本としては、WSSDを、理念レベルでの最初の発表機会にしたい。まずは、サイドイベントを企画している。サイドイベントだけで世の中が変わるものでもないが、この準備が国内の求心力になって、来年のTICADにもつながっていくと考えている。
- このための動きを順番に説明すると、まずOECDフォーラム(5月13日、於パリ)で日本の方針を私が学者の立場で10分程度発表した。これに対する反応は結構良く、バグワティ教授やOECD事務局DAC関係者が面白いと言ってくれた。アフリカ諸国やルーマニア等からも質問や照会が来た。このバックグラウンドペーパーを短くしたものをファイナンシャル・タイムズ紙などへの投稿に使っている。作った文章のマスコミでの発言も考えていきたい。今回のOECDフォーラム自体、単発ではなく今後の政策検討の第一歩のたたき台とするという条件だったので、参加したものである。
- 東アジア開発イニシアティブ(IDEA)は、本年1月に小泉総理が提唱したものであり、活用したい。ただし、内容は現在外務省経協局を中心に検討中である。8月末のWSSDの前に閣僚級の会議をやる可能性もある。具体的な成果物はそれまでに期待できないが、域内の経験を利用した協力を推進するということにつきコンセンサスとして宣言し、さらにはASEAN10か国の共通プロジェクトを実現することにより、WSSD及びその先に向けてつながていきたいと考えている。
- WSSDサイドイベントは、アフリカを意識して、これまでJICAやJBICが行ってきた調査研究を材料に使うことになると思う。また、経済産業省も参加の意向を持っている。準備に際しては、3か月しかないこともあり、様々な組織がまとまりのない形で行うよりも、相互に調整しつつ現実的かつ質の高いサイドイベントに絞り込んでいくことが望ましいと考えている。
- JICAは、我が国の技術協力に関する調査研究を実施中である。これは、キャパシティビルディングやナレッジマネジメントに焦点を当てたものであり、WSSDには間に合わないので前倒しで実施できるかが課題である。また、JICAプロジェクト関連サイドイベントで6つ以上の候補案件があるところ(ベトナムでの石川プロジェクト、同国のリプロダクティブヘルス、インドネシア母子手帳等)、今後絞り込む必要がある。
- JBICは、SPA(Special Program for Africa)用にインフラと貧困削減の関係につき研究中であり、来年締切となっているが、前倒しで対応するかが課題である(普通では間に合わない)。また、JBIC研究所でグラントとローンの問題に関する研究会を立ち上げると聞いている。これは、WSSDも意識したものである。
- 経済産業省は、「アジアダイナミズム」に関わるWSSDサイドイベントを検討中である。
- 前述の通り、政策研究大学院大学(GRIPS)は、「東アジアの成長志向と貧困削減:ベトナムPRSP」(モジュール)を提案中である。
- 追加的な提言であるが、これを機に、外務省、財務省、経済産業省は、通常の情報交換を超えた、開発戦略に関する突っ込んだ話し合いを開始すべきである。そのための場を誰かが何らかの形で設定する必要がある。また、WSSDまで時間が限られているので、現実的な目標を設定し、各組織の役割分担・スケジュールを明確にして効率よく作業を進めるのが良いと思う。発信の内容だけでなく方法もイノベーションすべきである。
(5)対外発信のためのレトリック:1つの叩き台
- 以上の考えをも踏まえつつ、先週パリで開催されたOECDフォーラムのためにバックグラウンドペーパーを作成した(Kenichi Ohno, “Development with Alternative Strategic Options: A Japanese View on the Poverty Reduction Drive and Beyond” (May 2002), www.grips.ac.jp/forum/download.htm にて入手可)。この文章を流れる基本的な考え方は、(a)ある程度単純化して論争すべし、(b)カッコよさも必要、感性にも訴えるべし、(c)レトリックが証拠(研究)に先行しても可であり、あまり批判を意識しすぎない、というものである。以下はこのペーパーで用いた発信レトリックの具体的提案であり、こういう言い方でいいのか、ご検討願いたい。
- 現在の貧困削減に対しては、世銀政策の「非連続性」「単一性(convergence)」に警鐘を鳴らしてバランスをとり、「継続性」「多様性(diversity)」のある開発戦略を求めるという立場をとった。この中で、オーナーシップの尊重は目標設定や戦略にもしっかりと広げていくことを強調する。
- 「東アジア型産業関心」(国際分業参加を通じたキャッチアップ)と「アフリカ型貧困削減」(人道主義・チャリティ)を区別し、前者を1つのオプションとして提示する。この点は更に研究を要する。
- 日本の経済協力は、この両者をともに追求する「ツートラック型」であり、それを通じてグローバルトレンドの行き過ぎを牽制するものであることを主張する。現在の日本のアプローチを受動的・防御的なものでなく積極的・肯定的なものと位置づけて、国内にも世界にも発信していく。
- 新しい時代の新産業支援を提唱する。産業支援などいまどき時代遅れであり、民間主導の自由貿易時代だという人も多い。だがわれわれは違う立場をとっている。確かに昔とは状況は違うが、日本としては、単なる対外開放や自由貿易だけでは途上国の産業化はできないということを主張する。具体的に言えば、グローバル化時代の産業支援は官主導ではなくあくまで市場・企業が主体であるが、産業発展の芽を作り、環境を整備するのは政府の役割である。政府は生産に直接関与するのではなく、直接投資誘致、国際協調・統合、障害除去、危機管理などを担当する。自国に新たなロケーショナル・アドバンテージを創出できるかが鍵である。これは、経済産業省やJICAの産業研究のテーマでもある。産業発展の程度がクリティカル・マスに至るまではやはり支援が必要である。そして、国を超えた地域レベルで政策を構築していくことも重要である。
- 東アジア型産業関心の国(ベトナム等)にアフリカ型貧困削減のやり方を持ち込んでも機能しない。この点については、とくにインドネシアのPRSPの取組みを今後フォローする必要がある。
- 卓越(excellence)のデモンストレーション効果を提唱する。産業関心を持つのは東アジアだけではなく、アフリカ他にもあり、これらの国を選択的に支援する準備があることを示す。世銀型のマニュアルやポリシーマトリックスを示されても、途上国の人達は元気が出ない。真のオーナーシップが発現するためには、マニュアルやマトリックスをもとに通知簿をつけるのではなく、あの国が出来て自分の国では何故出来ないのか、という事例を作ることの方が効果的である。これを、まずは東アジアから他国に向けて発信する。アフリカへの移転可能性(transferability)をただちに示せるものではないが、がんばれば2−3年内には突破口の入り口まで来ることが出来るだろう。
- 最後に、政策をアピールする際には研究の裏付けよりもカッコよいプレゼンを重視すべきことを再度強調したい。日本型・東アジア型のアプローチを打ち出しても、世銀からは反発があろうし、世銀側の立場を裏付けるような研究や学者もいるので簡単に説得されることはないであろう。しかし、それは当然のことであり、苦にする必要はない。このような政策のアピールを通じて、双方の研究のレベルが高まることになる。世銀のPRSPをとっても、経済学や実証研究の裏付けがあるわけではないが、大々的な宣伝によって、関係者が皆やる気になっているのが実態である。政策研究においては、地道なアカデミックな研究と同時に、どのようなアカデミックな研究をすればよいのかをさし示すような政策を先に打ち出すというアプローチも重要である。
2.出席者より席上及び直後に電子メールで出された意見
- 最近は世銀もレトリックを変えてきており、大野健一氏の提示するレトリックと世銀自身が使うレトリックが響き合う感じがしている。具体的に言えば、世銀のチーフエコノミストがスターン氏になってから、貧困削減の鍵として、一つの柱は投資環境の改善、もう一つの柱はエンパワーメントが必要との整理になっており、その文脈で民間セクター開発戦略が提示されたり世界開発報告で「制度」が取り上げられたりしている。従って、大野健一氏の議論は、世銀の中で発信しても聞き入れられるのではないかと思う。その点について、外から見ていてどういう認識か。
→(大野健一氏)世銀の中には立場の固い人もいるし私の意見に違和感のない人もいる。世銀は一枚岩でないので全員納得させる必要はなく、そもそも全員の意見が同じわけはない。また、日本が世銀の内外で単に世銀に対してコメントするよりも、世銀のオペレーション自体を日本が主導していくことが効果的である。例えば、ベトナムではPRSPに入り込んで成長コンポーネントを日本が担当し作っていくことも考えられ、またUNDPやEUも個別産業の研究に関心をもっている。日本としても、世銀の中に入って、世銀自体のリソースを使って日本の考えを実現していくべきである。
- 方法論として、最近10年位のアジアの経験の分析研究を蓄積しモジュール化するのは有益と思うが、これをアフリカに適用する上で、実際にどのような課題、どのような限界があるかはまだわかっていないと思う。この点につき意見があれば伺いたい。
→(大野健一氏)自分はアフリカについて十分に知らないし、日本全体のアフリカに関する知見もまだ十分に整理されていないと思う。しかし、アフリカの開発にも役立たせるという宣言はしても良いと思う。そのような宣言をまずしておいて、何かやらなければならないという立場に日本自身を追い込むことも意味があると思う。
究極的には、アジアの産業政策は同地域の発展にどのように寄与したか、アフリカにどのように適用が可能かという問題があるが、そんな難しい問題には現時点では回答を示せないし、世銀の研究もそこまではいっていない。世銀の「研究」も経済学の常識から言っておかしなことがたくさんある。彼らの常套手段は、クロスカントリー回帰をやって、相関関係を因果関係と読み替えて、それを多色刷りグラフで印象付けるというものである。これが世銀の「証明」ならば、その程度ならば誰でもできる。学問的・厳密に証明されたか、という問題ばかりに足をすくわれず、きれいなグラフを多用して何遍も繰り返して言えば良いとあえていいたい。材料は日本の研究文献にいくらでもあるが、整理も英訳もされておらず、パワーポイント資料にもなっていない。良いことを言っている学者はいるが、それらの議論や研究は使い捨てになっている。純粋学問の話ではなく、政策インパクトの観点からいうと、ひとりの学者が3年間かけて新たな研究をするよりも、既存の研究という「宝の山」から掘り出してきれいなパワーポイントスライドにする方が効果的である。
まず「フライング・ギース」とは何かといった基本的なことからモジュール化していきたい。東アジア・日本の経験という表現に限定してしまうと適用可能性が少ないという印象を与えるが、これからは貿易・投資主導の発展モデルも重要である、その具体的な例として東アジアがあるという言い方にすれば、他地域の関心も高まると思う。
- 東アジアは放っておいてもうまく行くところであり、そこを研究しても何の役に立つのか、むしろうまく行かないところに対する処方箋を研究すべきではないか、という見方もある。少なくとも、東アジアの事例研究は5−10年の間は役に立たないのではないか。そのような中で、どのような目標設定のもとで東アジアを研究しているのか。
→(大野健一氏)東アジアは放っておいてもうまく行くという考えは全く違うと思っている。それは彼らの努力を振り返った事後的印象にすぎない。むしろ現実の東アジアは問題だらけであると認識している。60年代はアフリカも東アジアも所得はほぼ同じであった。アジアには朝鮮戦争やベトナム戦争があり、冷戦構造も長く続いた。70年代には石油危機があり、80年代前半はASEAN経済が全般的に低迷した。ベトナムも90年代半ばまで、経済は全く駄目であった。現在も、東アジアには台湾や北朝鮮など不安定要因が山積している。日本経済も厳しいが、ASEAN諸国にも中国にやられるという危機感がある。アジアの国は、前を行く国と後ろから追い上げる国に常にはさまれたサンドイッチ状態にある。ショックを受けて停滞する国、国際統合に出遅れている国もある。彼らは何もしなくても成功するのではなくて、このような問題にたえまなく取り組むから倒れても起き上がれるのだ。そのような東アジア自身の問いに答えることは極めて意味のあることである。それを伝えることが、アフリカに対しての適用への第一歩ではないか。
- 日本の各省庁や実施機関の中に埋もれており、既に国内的には効用があったが対外的には伝搬されていない研究が相当あると思う。これを活用して相手のニーズに合わせてプレゼンをすることには大きな潜在性がある。それでは、これを誰がやるのか。役所の中の縦割りや、政府の中の省庁間の壁がある中での調整は気の遠くなるような仕事である。うまく柔軟に入り込めるようなカタリストという形で大野健一氏が突破口を作れれば嬉しく思う。
→(大野健一氏)まさにその通りであり、そのためにファジーなNPOという形態で進めている。そのようなNPOの意義を伝えて他の人にも同じ役割を担ってもらいたい。つまり、自分は触媒の触媒になるのがいいと思っている。実際に行動をはじめて4−5か月が経ったが、政府からもリアクションがあり、世の中には知的NPOに対するニーズはたしかにあるという感触を得ている。OECDフォーラムの発表も外務省から依頼された。
- 東アジアの経験との関連では、アジア開発銀行(ADB)は活用できないか。世銀と同様に貧困削減は主張しているが、産業関心について追求するのであれば、ADBの中にも共鳴する人や経験があると思う。世銀とのカウンターバランスという発想で、ADBを上手く取り込んでいけないか。
→(大野健一氏)ADBには潜在性はあると思うが、貧困削減に対する考え方は自分と必ずしも重なっておらず、いまのところ直接働きかける対象とはしていない。
- 国内の援助関係諸機関はどのような役割を果たすべきか。
→(大野健一氏)JICAは、外務省とコンサルタントや企業の間にあって、ロジスティックな仕事に加えての付加価値を如何に出していくかが課題と思う。また、援助業務が国内のパートナーですべて完結している点も国際連携の観点からは不利に作用している。
JBICは、世銀と協調融資を行う前線に立っており、世界の動きに自分で反応せねばならないという立場に追い込まれている点が強みである。
関係省庁、特に外務省は、もっとリーダーシップを発揮して良いと思う。研究者を使う際には、どうしたら良いのかを学者に尋ねたり委ねたりするのではなく、まず政府としてどのような政策を打ち出したいかという考えがあって、それに役立つような研究者を配置するべきだと思う。役所全体として、保身ではなく自分たちが信ずる政策を打ち出そうという覇気がもう少しあって良いと思う。
NGOとの関係については、政府として国内NGOと一緒にやろうとの姿勢は良いが、世銀等の国際機関との関係やアフリカ等に対する開発戦略とは違う次元の話であることを十分に認識し、後者も忘れないでほしい。国内NGOと関係を深めるのは楽しいし言葉や文化の壁もないが、例えば世銀に対してけんかするのでなくカネとともに人や知見を出していくことにも併せて取り組んで欲しい。
第二次ODA改革懇談会最終報告は、国内に支持基盤を作るということに焦点を当てるということでそれはそれで良いと思うが、それはODA改革の「第1部」と考えたい。さらに「第2部」として、国際的な議論に積極的・具体的に関与しながら国内支持をつくっていくという2本目の柱がないと駄目である。その点があまり聞かれない。援助政策は国内議論だけで決められるものではない。まずはWSSDへの取り組みで頑張ってほしい。
- 卓越のデモンストレーションを効果的に行うために、地域イニシアティブを用いることについてどう考えるか。アフリカであれば、SADEC、NEPADを使って隣の国がやっていることを宣伝することも可能と思う。これはオーナーシップの原則にも則っているだろう。
→(大野健一氏)アフリカの動きについては十分に承知していないが、東アジアについて言えば、知見やベストプラクティスを域内でシェアすることは有益だと思う。例えば、南南協力の形でフィリピンの金融専門家が自国の経験をベトナムに伝えたり、ベトナムのPRSPの経験を学ぶためインドネシアがベトナムにミッションを出すことなどが考えられる。
- 地域の問題を考えるに当たっては、日本から即座に世界全体への発信に行かなくとも、まずはアジアの域内で協力を深化させることについてどう考えるか。欧州においても、経済統合が通貨統合や政治統合まで進んできており、現在の課題は東欧を統合するかという点である。また、米州ではNAFTAが出来て、ブッシュ大統領の方針は未だ不明だが、南北アメリカの統合が進んでいくと思う。そして、日本にとってなぜ東アジアの協力が必要かといえば、日本のように成熟・発達した国は自国だけでは経済発展が止まってしまい、新しい血を入れないと進まないからである。その意味で、グローバリゼーションへの対応と地域協力の推進はコインの裏表である。日本自身、経済が成熟したかもしれないが高齢化社会でどうなるかという課題に直面している。アジアでは、アジア通貨基金構想を含む通貨の問題や、貿易、政治統合、対中関係等の問題もある。ASEAN+3の枠組みを活用して、ASEAN内での経済発展国と最貧国のスペクトラムを踏まえ、開発問題への取り組みを推進しなければならない。
→(大野健一氏)この質問は、経済産業省で進めている「アジアダイナミズム研究会」とまさに同じ発想である。ODAの枠だけで考えても埒があかない。より広い経済外交の目的を定め、経済協力を安全保障や対中関係などに対処する一つの道具と位置づける。FTA等とも結びつけて、日本として何をやりたいのかを巨視的に考える必要がある。少なくとも自分が接触している政府関係者は、大概そういう発想をもっている。
- 世銀でアフリカの資本市場を担当しているが、実際に現地に出かけて内容を見ると、米国や欧州が教えるような金融インフラ自体の整備でなく、産業政策と資本市場のつながりや、産業政策自体に対する取り組みが必要ということを痛感する。そして、この関連で東アジアはどうなっているのかという質問に出逢い、東アジアを学ぶにはどうすれば良いのか、東アジアへの研修はないのかという話になる。しかし、東アジアの産業政策を世銀のメインストリームに持っていても駄目であるし、日本の役所の人にそういった要望をつないでも、日本は戦略的に東アジア中心でアフリカまでは手が回らずカネも回せないと言われる。迷惑なのかなあと思う程である。
→(大野健一氏)本件については、外務省・財務省・経済産業省が真剣に考えるべき問題である。東アジア開発イニシアティブ(IDEA)や関係各省のペーパーを見ると、アジアで依然問題がありそれらに積極的に対処するという面と、アジアを越えてアフリカにも対応しないと開発問題に触れたことにならないという面の双方がある。アジア8割でアフリカ2割か、アジア6割でアフリカ4割かはわからないが、この2面をはっきり政策としてまずはっきり宣言するのが良いと思う。そして、アジア以外から照会があれば、それに答えられる程度の準備も念頭において体制を作ることが急務と考える。現時点では、そうした照会に答えられるキャパシティがない。政策として宣言すれば、長期的には、担当者の裁量で対応が変わることのないよう、予算や人がきちんと手当されると思う。
- WSSDについて、環境の観点が抜けている。貧困削減・開発と環境を結びつけるのは難しかったが、京都議定書のクリーン開発メカニズム(CDM)で両者を結びつけることが出来た。世銀関係でも炭素基金(カーボンファンド=CO2を買い取る基金)にJBIC、電力会社6社、商社2社が出資している。世銀がファンドマネジメントを行って途上国から枠を購入するものである。これは新たな資金の流れになるだろう。既に炭素基金のプロトタイプが動き始めている。WSSDでは、新たなファンドをアナウンスする。1つはシンクファンド(植林関係)、もう1つは貧困削減スモールコミュニティ開発ファンドである。前者は日本の電力会社も興味を示しており、後者は民間投資にとっては興味が薄いがJBICとは関係している。このように環境の観点もいれていけば良い。
- PRSPは、そもそも開発途上国の声を開発援助に反映させようという意味があるが、市民社会やNGOの役割もあると思う。日本としてもPRSPの社会開発側面を国内でどう議論しているのか。
→(大野健一氏)PRSPプロセスで、下からの声がどの程度吸い上げられているのかはわからない。全くそのような経験のない国では、市民社会の声の吸い上げにも意味があるが、一方ではコンディショナリティでやらせられているという側面があり、必ずしもボトムアップでない。同じ手続き・タイミングでマトリックスを埋めるのはオーナーシップに反する。当該国自身の政策と整合性のある場合は良いが、ベトナムでは当該国自身の政策とPRSPプロセスが衝突している。
- 自分は地球環境ファシリティ(GEF)で働いているが、この機関はリオサミットの際に唯一できた資金メカニズムであり、気候変動枠組み条約、生物多様性条約の資金も出している。日本もトップドナーとして、4年間で4億ドル出している(分担上は米国がトップドナーのはずだが、米国は半分拠出していない)。WSSDでは環境は重要なテーマであり、日本としてGEFへの貢献を含め、是非環境面での貢献もアピールすべく対応方針を策定するのが良いと考える。
- ODAの担い手である我々国民にODA戦略を理解させるには、単純化、カッコよさ、レトリックが大事になってきている。このために、骨太のコンセプトを打ち上げるべきである。昨今ODA削減の中で理解取り付け困難な中で、誰のためのODAか。日本国民にとってどのようなメリットがあるか、単純化しても良いからはっきりさせれるのがよい。この関係で、アフリカとアジアに対してそれぞれどう戦略を作るのかを考えてはどうか。アフリカについては人道援助・社会開発優先、NGO優先でカッコよさを目指し、アジアについては経済開発優先、企業メリット優先で投資環境整備を目指す。延長線上にFTAもある。これを鮮明にアピールして、誰にとってメリットのあるODAかメリハリをつければ良いのではないか。
→(大野健一氏)アフリカは人道配慮でアジアは企業利益というところまで単純化はできない。また低所得国は人道援助、中所得国は企業支援というふうに段階論的にきれいに分けられるものでもない。2つの関心は重なり合い、その重なり方は国・ケースによって異なるのではないか。
- WSSDというよりミレニアム開発目標(MDG)に焦点を当てるべきである。WSSDはあくまでプロセスであり、これはMDGのためにやろうということである。それについて日本側の認識がどうか心許ない。日本で、海外コンサルタント協会(ECFA)の新任者研修でMDGを知っているか尋ねたところ、2人くらいしか知らなかった。世銀ではMDGはスローガンに過ぎないという冷めた見方の人もいるが、少なくとも幹部は真面目に捉えて仕事のやり方を変えようとしている。日本では、MDGはどこかで決まった話で日本と関係のないスローガンという印象がある。日本に話しかけてもフォローがなく消えてしまうので、世銀の中でも日本人以外の人は、日本と一緒にやろうとしても駄目なんだろうと言われる。MDG達成を目指して日本は経済協力のやり方を変えているといったストーリーを作る必要があると思う。日本の経済状況を背景として、ODAを巡る国内の議論は相当厳しい。鈴木宗男議員の話題もどんどん出てくる。ODAに同情を持つ人は極めて少ない。その中で、日本の援助機関がどういう付加価値を持ち、何をするのかが本当に問われている。今のままでは、なぜお金を出しているのか国民に知られていない。
→(大野健一氏)日本国内では、開発援助では国際的に何が起こっているのか、国民も役所も十分に理解していない。ただし将来それに積極関与する際には、MDGに対して日本が全面支援するということになるかどうかは保証できない。私は少なくともそのような追随的姿勢には反対である。MDGに対抗して日本が別の目標を掲げ、世界全体としてバランスが取れればいいという姿勢をとるか、あるいはMDGを形式的には支持しながら中身としては日本のアジェンダを推進するという戦略となるか、現在のところは政府としても詰めて考えてはいないのではないかと思う。いずれにせよ、MDGに対する認知は非常に低い。
- 大野先生のODA二分論のメッセージが少し理解できたような気がするが、私個人としては、現在の二分論のメッセージそのものより、欧米中心と思われる開発政策論にひとつのアイデアをもって建設的批判を行おうとする姿勢そのものが評価されるべきではないかと思う。それゆえ、今後、大野先生の二分論をきっかけに外務省の経済協力局を超えた活発な政策議論が日本国内で繰り広げられることを期待する。実際、二分論はOECD、ワシントンで比較的好意的に受け止められたとはいえ、国内の官民の幅広い国際開発サークルでの議論なしではなかなか国外で主流となることはできないのではないだろうか。また、民主的な政策立案という点からも問題があるのではという気がする。
- 大野先生の二分論で気にかかるのは、そのメッセージがあまりにも経済学的視点に基づきすぎるという点である。90年代の世銀を中心とする開発政策議論で一番評価されるべきなのは、その議論の中で単なる経済成長論に基づく経済問題のみならず、人権や民主主義、貧困削減、男女均等、保健医療、教育、環境など、途上国の幅広い社会問題が扱われるようになったということではないだろうか。その背景としては、世界の開発政策議論に経済学のみならず、社会学、人類学、政治学といった学問領域からの視点がより活発に加えられるようになったということが挙げられるのではないだろうか。いわば国際開発は一経済学を超えたクロスディシプリンな領域となってきているのではないだろうか。(John Harriss. (2002) The Case for cross-disciplinary approaches in international development. World Development, 30(3) 参照)
- しかしながら、二分論においてはアジアダイナミズムの支援をひとつの大きな柱にすえる一方で、言わば90年代に世界が「発見」した数多くの経済問題以外の開発問題はひとつの柱としてまとめて扱われている。これではどうしても、アジアダイナミズムの支援がメインで他の社会問題は「おまけ」といったような「印象」を受ける。大野先生の二分論において、そもそも途上国の社会問題は日本のODA戦略の中で二次的な領域でしかないというのであれば、それこそ経済学以外の領域の視点が今後の国内の政策議論の中で不可欠になるのではないだろうか。(ちなみに、東京都立大学の松園万亀雄先生は最近の「国際協力研究」誌のなかで「先進国の中で、日本ほど人類学者が援助事業に参加していない国はめずらしい」と述べていた(国際協力研究、Vol 15 No. 2))。
- 大野先生の「建設的批判」という姿勢を見習い、ひとつ提言したい。二分論におけるアジアダイナミズムの支援への強調を少し抑えて、他の社会問題への対応戦略にもっと力点を置いては如何。また、92年に閣議決定されたODA大綱における基本的な理念を明確に二分論に絡めて、新たに「倫理的ODA論」というブランド名をつけてみるのはどうだろうか。これは、前英国外相ロビン・クックの「倫理的外交政策」(ethical foreign policy)とベルギー首相Guy Verhofstadtの「倫理的グローバライゼーション」(ethical globalization) から発想を得たものだが、WSSDでのスピーチなんかで使ってみるのはどうだろうか。単にレトリックとしても幅広い層の間で聞こえが良いと思う。
→(大野健一教授)非経済側面が重要だという点については、実は私の意見はそれほど変わらないと思う。ただし、評論はするが実際に動く人が少ない現状で、政府・国際機関に働きかけて政策を変えることを最大目標にすると、戦術として議論をどう単純化し、どこに持っていくかという視点が大事になる。私の見解はすべて、学問の世界で何が重要かをいったものではなく、政策インパクトを高めるにはどのようなシークエンスで動かねばならないかを提案するものである。おそらくその点において、少し見解の差があるのだと思われる。
私も思想、宗教、人類学、政治学、国際関係論など自分で読んだり筑波大学時代に同僚に教えてもらったりして、経済学を専攻した者としては経済以外のことを比較的重視している部類に入るつもりである。最近の本数冊にも経済だけではだめだということを書いた。また論座2月号に「聖戦思想と非合理の世界」という論稿を書いた。私の本音はむしろこちらの方にある。
しかし私の理解する世銀・日本政府などの現在の発想・インセンティブを考えると、私にはやはり単純化された二分論が最も有効な突破口に思える。これは外務省・経済産業省、国際機関の非主流派などが言いたいと思っていることを形にしようとするものである。社会的側面を提示することがいまの日本政府・国際機関を私の思っている方向に動かすかというと、私にはどうも触媒になるようには思われない。世銀は一方で社会的配慮といいながら、途上国の個性を十分調べもせずに、世界共通のマトリックスを押しつける。今回もパリとワシントンを回って2,3回セミナーをやっただけだが、今でもメールで双方からコメントが来る。ベトナムのPRSPも、表面を官僚的に取り繕っているが、きしみが出ている。やはりこの点で不満をもっている人の層はかなり厚いのではないだろうか。
そういうわけでレトリックとしての二分論を戦略的に提示しているので、経済以外のものを無視しようとか、そういうつもりは最終的には全くなくむしろ逆であることを理解願いたい。社会の個性を重視するためにはこの議論からはじめた方がいいというのである。ボートが右に傾いているときには、左によるのがよい。それがバランス感覚というものである。状況に関わらず、あくまで真ん中におろうとすると船は沈む。ましてや右によるのは愚中の愚である。この数年は、貧困問題・社会問題が大声でイデオロギー化されているのである。これは社会的関心に真に貢献するものだろうか。日本までが社会的関心を謳えば、世銀やDFIDは心地よく聞くだけだろう。
ただし日本国内のODA関心を高めるためには、二分論よりも社会的関心が有効であるということは大いにあり得ると思う。いずれにせよ、両方を進めていって構わないのだと思う。内外の使い分けは否定するものではない。
- 世銀自身のパーフォーマンス向上にとっても、挑発的議論は必要:実はこちらで働いていて、世銀のペーパーの生産力には感嘆しつつも、時と空間を越えて汎用性があるのか確証のないまま(因果関係が論証されないまま)事業につなげる、よく言えば、議論だけでは終わらせないガッツ、悪く言えば他人の金と時間を使って実験を繰り返す、いわば「少々強引な外挿から得た結果への期待交じり」の事業をしばしば見聞した。中にいると、降ってくるツールは営業部隊としては使わざるを得ず、効能書きを信じるものだけが救われる仕組みになっているので、地に足のついた作業を行うためにも、少々挑発的に、明瞭なメッセージを外から投げかけ、議論を興してもらうことが、世銀にとっても、結果的に受益国にとっても良いことであると思う。PRSPはよくも悪くもその典型であろう。世銀自身の営業ツールとしては近来まれに見る、大変優れたものだが、途上国の人々の今後何年かの生活と、世界中の納税者の資金を賭ける商品としては、まだまだ未完成品である。(これをすでに値札をつけて売る「完成した商品」と先走って捉えてしまうと、欠陥商品のそしりは免れないが、世銀の中でも、moving targetと説明されていて、常に改善/改良の姿勢を示しており、ベトナムの事例がそれを物語っている。むしろ、現場で何も抵抗なく進んできてしまった今までの事例がオカシイのであって、次のサイクルでは見直されることになるであろう。)世銀自身にとっての踏絵として商品開発した側面(債務問題清算の理屈付け)の段階が終わりつつある今、PRSP自体、ペンキの塗り替えが必要な時期に来ており、実質の勝負はこれからであると考える。
- 日本が貧困への取り組み(「成長」をキーワードとするにせよ)に存在感を示す好機:独自の開発支援の手法を通じた貧困削減へのアイデアを持つ、とことあるごとににおわせ、PRSPに対してはこれまで、リラクタントな姿勢を示していた日本こそ、PRSPの改善にそれを反映させる資格も義務もあるのではないかと考えるが、二元論の議論をもきっかけに現状の整理と今後の焦点が定まってくれば、語るべきものがおのずから生産されると期待する。日本が「PRSP」という看板自体を嫌うなら、別に日本独自の方針/手法を一方的に述べてもらえばそれでよく、その中でパクる価値のあるものがあれば、世銀は、あるいはこれからPRSPを作成する途上国は、ほうっておいてもそれをコピー・アンド・ペーストするのは間違いない。
- やるべき宿題は同じ:その意味では、私は、日本がPRSPそのものに貢献するかどうか、ということより、サブスタンスとして途上国や他のドナーがコピーしたくなるものを近い将来に日本が提示できるかどうか、その気があるのかどうか、に強い関心がある。たとえ、PRSPという看板そのものが、他の幾多の看板と同様、一時の夢と消えても、残念ながら世の中に貧困は残り、またそれへの挑戦という開発コミュニティの課題も残るからである。至近のPRSP論議に日本が貢献するならそれもよし、もう少し長い目で、貧困と成長という課題に軸足を置くならそれもよし。選択肢は意外と広い。ただし、とにかく、そのスタンスが外からわかりやすいほど、意見の交換は容易になるだろうし、相互に声を取り入れやすいだろう、と考える。大野先生の論旨は日本の採るべきスタンスを(先生がおっしゃったようにプレゼンテーションの中では少々単純化していたとしても)わかりやすく示しており、内外のコミュニケーションを促すものだと思う。一つの具体的手段は、かつて朽木・川辺両氏がこのフォーラムで指摘し、今回大野先生も指摘した、日本国内に死蔵(?)された開発研究、実際の事業の事例の良質な部分を整理し、発信可能な形に加工する作業である。その過程で、日本としての提言(を補強する材料)も整理されてくるものと考える。(さらに、この作業は、日本の独立法人化後の日本の大学の国際貢献の議論にも、前向きの一石を投じることになると考える。)
- 若干の懸念:大野先生の論旨(PRSPへの疑問、ODA二分論)を、日本政府が内外各所で、現時点では日本の一研究者の意見、という形であっても、開発コミュニティにプロモートしはじめていることは、これまでの日本の官と学の関係から見ると、これまでには余りなかったケースではないかと思う。ただ、大変ひねくれた見方をすると、ODA二分論にもつながった現状の様々な問題点を中で議論し、改善のための方向を準備することなく、外向けのわかりやすさを一時凌ぎに使ってしまうということならば、つまみ食いで議論を吹っかけても、「議論することが職業」となっている外の開発コミュニティの陣容には歯が立たないか、体よく無視されるのがオチである、という事をほぼ確信している。すでに、現実の姿としては政府事業における「無謬論」は崩壊していながら、大掛かりな仕掛けがないと、実際に装置を操作する人々が目の前の磨り減ったねじ一つ取り替えることもできない現状がこれからも続くのかどうか、が、活性化されるであろう議論の行方を決める条件だと考える。ODA二分論、あるいは主要な一要素であるアジアカードをつまみ食いという形で粗末に扱うと、結果的に、せっかく開発政策に関心を寄せる日本のアカデミアの方々からもあいそをつかされてしまうのではないか、ここはむしろODA二分論を換骨奪胎するほどの勢いで官と学が広くインターラクションし、アカデミアが足を抜けないほどインボルブすることを期待する。
- 二元論から派生する議論の一例−民間企業の利益:ODA二元論がこれから広く知られる場合には、人により受け取り方は様々で、オリジナルの考え如何に関わらず、単純に地域割りとしてアジアとそれ以外、あるいは資金の使途として日本の権益の集中する地域/分野への戦略的投資とそれ以外のチャリティ、等など様々な翻訳・解釈がなされていくものと予想するし、この融通のきくところが、同論の、議論を活性化する一つの側面であろうと考える。日本の国益、なかんずく、日本の民間の経済活動に資するODAを、という声は、この解釈のなかでも、有力なものになると考える。ODA資金と民間企業の関係では、(1)ODAの資金を日本の企業に流す形で事業を行うべき、という議論と、(2)日本の企業の海外進出の支援をより明確に意図したODA事業を選ぶべき、という議論とがある。後者は、いわば産業連関表の海外版を作り、どこにODA資金を投資するとどこに需要が生まれて投資/貿易など企業活動が容易になるか、という因果関係の話である。開発議論として発展性があるのは当然後者であり、雇用の創出、その前提となる教育水準、社会保障制度、インフラ整備、金融制度などなど、ODAという外部資金をどこにどのような形で投入することが効率がよいのか、検討すべき点は山ほどある。昨今の国内のODA論議を聞くにつけ、前者の議論に終始し、中/長期的な観点ではより重要と思われる、後者の議論が本格化しないのが、日本のODA論議の弱点の一つであると考える。
- ただ、議論がなかったわけではない。これまで、それぞれのセクター・サブセクターの担い手が手前味噌をひきあって、それぞれの事業の有効性を説く懸命の努力はあったが、誰もまじめにクロスセクターを総合的視野で俯瞰する作業に投資をしなかった。それが、独自の国別の開発支援の方針の欠如となって現れ、ひいては、援助協調への参加のハードルを自ら高くしてしまったことにつながった。PRSPをめぐる議論の低調さ、ないしは混乱は、そのつけがまわったということだと自分は考える。それは、発達途上のPRSPに対して、その改善のために世銀がいくらコメントを求めても、別のアングルからの知見を持つはずの日本が組織的にインプットをしなかったことにより、PRSPの改善の機会を逃した、という形で(回りくどい言い方ながら)、少なくともこれまでにPRSPという紙を仕上げた国への貢献の機会を逃しているのである。むろん、この後者に関する議論は、どのドナーもが避けて通ってきたもので、だからこそ、未だにその時々の流行廃りでセクター間の投資シェアが、時々の言い訳と共に、波を打つのであり、別に日本だけが遅れているというわけではない。
- 大野先生が関わっている東京における議論の、いずれかで対象になっているのかと想像するが、二元論から派生して、いくつかの希望する国を選び、企業の進出を促す、あるいは貿易相手国としての地位を固めてもらうための事業への資源の集中投下をねらう、ということは、十分に検討に値する議論であると考える。(その場合は、pro-poor関連の支出は、それをよしとする他のドナーに任せる、という役割分担がなされるということだろうか。)それは、まったくゼロからの作業ではなく、日本の各所にすでに知見は存在しており、縦割りの愚に陥らないならば、それを糾合することは可能だと考えるし、相手国にとってメリットのある、他ドナーとの(緊張関係をはらみつつも)補完関係を築くこともまた可能だと考える。(その兆しの一例は、ベトナムに見えるということではないだろうか。次のベトナムに関するプレゼンテーションに期待する。また、ミャンマーに関しても、一つの試みがなされていると聞く。)
(以上)