ワシントンDC開発フォーラム
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日本の開発問題への知的貢献について
2002年7月3日、ワシントンDCにて、政府、実施機関、世銀グループ・米州開銀・IMF、企業、NGO、シンクタンク・大学、メディア等の経済協力関係者約30名が、日本の開発問題への知的貢献について、昼食を交え個人の資格で意見交換を行ったところ、概要次の通り。
【ポイント】
冒頭プレゼンテーション担当:日下部 元雄(くさかべ・もとお)―――――――――――――
1945年仙台市生まれ。1970年東京大学大学院修士課程(数学)卒業。同年大蔵省入省。エール大学経済学修士、IMF勤務、財務官室長、官房参事官、欧州復興開発銀行中央アジア局長、国税審議官などを経て、1997年8月より世界銀行職員として勤務、1999年2月より副総裁(資源動員・協調融資担当)。
(プレゼンテーション内容は発表者個人の見解であり、所属先、ワシントンDC開発フォーラムの立場を述べたものではない。)
【冒頭プレゼンテーション】
1.はじめに
私は現在世銀で資源動員・協調融資担当の副総裁を務めている。実際にやっている仕事のうち一番大きなものは、ドナー国に対して世銀の開発戦略を説明し、IDA(低金利で長期の資金を貧困国に融資するスキーム)に対する拠出を受けることである。その他、各種の無償の資金をドナーから調達したり、世銀の予算全体から見れば小さいが、グローバル・パブリック・ポリシー(国際公共財)プログラムという環境、感染症、金融安定など地球的規模で意見調整が必要な分野のドナー間の事業(約50程度ある)に世銀の予算を配分している。
日本は、無償資金協力では世銀に対する第1位拠出国なので、公的機関・NGO・コンサルティング業界との対話など、世銀の政策と日本の政策の接点となる仕事をやっている。そのような仕事を通じて最近感じたことを中心にお話ししたい。
2.過去の経験(失敗)
今日の本題は知的貢献であるが、その前提として、世銀の開発戦略が過去にどのような変化を遂げてきたかを簡潔に説明したい。途上国に対する先進国の援助は、第二次世界大戦後、大きな期待をもって始まったが、数々の失敗を経験している。アフリカの多くの国では1人あたりGNPは横這いか減少している。ある程度成功した中南米でも貧困人口は減っていない。また、東欧・旧ソ連の移行国でも貧困層が増加している。アジアを見ても南アジアには膨大な貧困層が依然存在している。結果を総じて見れば、大きな期待はずれに終わっていると言わざるを得ない。このような過去の経験をどのように認識するかが全ての出発点となる。
(1)輸入代替型の産業政策→輸出志向型への転換
この原因として最大のものは、多くの途上国で重化学工業や自動車組立て等の輸入代替型の産業政策をとる一方、農産品等の輸出が不利になるような政策をとったことである。例えば、ガーナはココアの最大の輸出国だったが、輸出を促進しない価格政策をとったことから、隣のコートジボワールに世界市場でのシェアを大きく追い越されてしまった。また、多くの中南米諸国でも輸入代替政策をとったので、国内の高コスト構造につながった。このように、産業政策の面から開発が頓挫しており、これを輸出志向型に転換することが80年代以降の大きな課題であった。
(2)経済政策・価格の歪み→構造調整アプローチ
それ以外に、経済政策・価格の歪みの問題がある。これはほとんどの低開発国で見られるが、特にアフリカや初期の中南米では価格の歪みが大きかった。これに対して世銀は構造調整アプローチで対応したが、多くの国で国内政治上の理由から経済政策・価格の歪みは解決されず、多くの国で引き続き障害となっている。最近の世銀の実証研究によれば、政策の悪い国に対する援助の効果は非常に低いことが指摘されている。
(3)人的資源の不足→教育・保健の重視
第三に、1990年の世銀の世界開発報告で指摘されたことだが、これまで人的資源に十分なお金を注がなかったことが産業の成長を阻害し、貧困層の発展を妨げたということである。そこで、教育・保健が課題となっている。
(4)ガバナンス→成果に基づいた配分
ガバナンスの問題は、戦後新たに独立した新興国に共通した問題であった。ある途上国では国家収入の90%が大統領の個人資産の形成に使われていたという説もあるくらいである。アジアにおいても、かなりの部分が個人資産の形成に使われたり、各階層の小規模の賄賂に使われている例もある。しかし、この問題がドナーの間で最大の問題と認識されたのは最近3年程である。IDA増資会合でも、ガバナンスの悪い国に資金を配分するのは止めるべきと叫ばれている。これに対し、現在世銀・先進国が取り組んでいるのが成果に基づいた配分(Performance Based Allocation)である。政策の良い国に貸し、悪い国には貸さないようにしようということが真剣に討議され既に実行されている。
なお、ガバナンスの問題は、ドナー側の会合に出ると随分強調されている。欧州は過去50年間の対アフリカ援助が失敗した大きな理由はバッド・ガバナンスであると認識していることもあり、強いスタンスで臨んでいる。日本もインドネシア、フィリピンなどで経験はしているが、国際的な議論においては東アジアのみならず南アジア、中南米、旧ソ連、アフリカなども踏まえる必要がある点に留意すべきである。
(5)コンディショナリティの失敗→PRSP・CDF
コンディショナリティは、構造調整アプローチのもとで、資金を提供する代わりに政策を変えさせようというものである。しかし、実証分析によれば、コンディショナリティで政策を変えることは非常に難しく、借入れ国ではコンディショナリティを実質的に回避するようなさまざまな手段がとられてきた。更に、コンディショナリティの設定に際して社会的な影響が十分に分析されていなかったということで、2重の意味でコンディショナリティの限界が広く認識されている。この反省に基づき、途上国各層の参加とオーナーシップに基づき長期的な成長と貧困削減計画を作るPRSP・CDFが取り組まれている。
(6)貧困層の不参加→Community-Driven Development
従来の世銀はサプライ・ドリブンで、世銀スタッフが適当と考えるプロジェクトを実施してきた。しかし、10年程前に「ワッペンハウス勧告」が出され、プロジェクトの質の低下が指摘された。95年にはプロジェクトの不成功率が40%に達したが、勧告の中で、それは現地の裨益層の意見を聞かずにプロジェクトを形成してきたからと指摘されている。それ以来、参加型開発(Community-Driven Development)が推進されている。例えば、現地のNGOをプロジェクト形成に参加させるだけで失敗率が半分に低下する。現在プロジェクト成功率は80%以上となっているが、その大きな原因が参加型開発の導入によるものである。
(7)サステイナビリティ→キャパシティ・ビルディングの重視
援助のサステイナビリティが確保されないことも過去の失敗の1つである。これは受入国側の能力が伴わないことに起因するため、昨今はキャパシティ・ビルディングが重視されている。
(8)援助調整の失敗→セクターワイドアプローチ、調和化
援助調整の失敗については、アフリカの小国であるウガンダの例が出される。同国は年間2000の報告書をドナーに提出する必要があり、役所は報告書を書くだけで能力を使い果たしてしまう。最近は、ドナーの側で報告義務の相互調整を推進するなど、調和化努力が重要であるという反省が見られる。
以上の通り、援助政策のあり方を論じる際には、過去の失敗を踏まえた議論が重要である。
3.教育の例
過去の失敗を反省する例として教育を挙げたい。まず、日本、東アジア諸国で基礎教育を早くから充実し、これがこれらの国の発展の基礎となったことは事実である。しかし、「アフリカも含め世界中の国で、教育支出と教育成果の相関はネガティブである」との事実を認識する必要がある(Filmer and Pritchett(1999))。途上国が教育支出を増やしても、平均的に見ると教育成果は下がっており、これは教育の質や政策改革を考慮せずに支出を増やしても効果があがらないことを示している。
また、現在教育は成長にプラスというように理解されているが、単に教育投資をすれば成長に結びつくという単純なものではない。教育の重要性を否定するものではないが、過去の経験からは、単純な人的資本と成長の関係は弱いことが指摘されており(Benhabib and Spiegel(1994))、教育すれば成長できるということではない。
最近、世銀は貧困のアセスメントをやっている。ジンバブエの例では、1990年代に20%国民所得が低下した。その原因を家計調査に基づいて見ると、世銀はこの時期教育・保健に手厚い配分をしたものの、その間大きな干ばつがあって農業生産が低下し、インフォーマル・セクターで働く人の所得が低下している。このような国で成長の要因分析をすると、人的資本への投資(すなわち教育)のリターンが大幅に低下しており、これが成長率低下の大きな要因となっている。これは、教育の成果を生かせる雇用機会がなければ、教育のリターンが低下して、短期的にはかえって成長低下を招くという一つの例である。
以上の説明は、教育の重要性を否定したいわけではなく、教育をやる際には質が大事であり、全体の雇用環境の把握やインセンティブの把握も必要ということを言いたかった。また、教育投資の効果をどうやってきちんと測るかが問題である。様々な調査によれば、初等教育のリターンは高い一方、大学教育のリターンは低く機会費用すれすれである。ベネズエラでは教育予算の半分を大学に注ぎ込んでいるが、東アジアでは初等教育に大部分を注ぎ込んでいる。このように、援助と効果にはいろいろなリンケージがあることから、日本が本当に援助で貢献しようと思うのであれば、現場のステークホールダーの意見を総合的に捉える参加型の貧困調査を取り入れる等、援助の質を高めるための知的な貢献こそ必要となる。
4.有効な援助とは
援助を行って有効なのは、経済効果がコスト(機会費用を含む)を上回るということである。しかし、開発途上国での援助の経済効果は、ガバナンスの問題で援助の数十%がどこかに流れたり、あるいは経済政策が悪く商品を作っても輸出できないなど、社会条件も入れて計算すれば低く、あるいはマイナスになることもあり得る。援助は質を考えないと、相手国の国民から後々批判されることとなる。
政策の悪い国への援助は、債務の累積を招くだけで中長期的に問題を起こす。世銀は成果に基づいた融資ということで、国別の政策のレーティングを行い、それに基づき援助配分をしている。欧州も、従来40か国程度の援助対象国を20か国程度に絞り、政策の悪い国には援助しない。ガバナンスの低い国に対する援助は、その国の国民にも悪い結果をもたらす。
また、ハードよりソフト・政策改革へのアドバイスが重要である。ソフト面を伴わないと援助は効果が十分に発揮できない。学校を建てるよりも先生をどうするかの方が往々にして重要である。
そして、参加型の分析手法も不可欠である。住民の参加がない援助は、援助の質が悪くなる。そのためには、参加型の分析手法を援助国が研究して取り入れる必要がある。例えば、生徒が学校からドロップ・アウトする理由を参加型の貧困分析により十分理解することが必要である。
最後に、キャパシティ・ビルディングが援助の中核的重要性を持つことを強調したい。いろいろな種類の参加型開発の手法が開発されているが、これらは、分析調査・実施・モニタリングの中に、インターアクティブな形でキャパシティ・ビルディングの要素が取り入れられている。これらの手法を更に活用していくことが重要である。
5.知的貢献が援助の鍵
以上、有効な援助について述べたが、そこからもわかる通り、これからの援助は量よりも知的貢献が鍵となる。これは、途上国の世銀に対する需要を見ても明らかである。依然としてお金を貸してくれという国もあり、特に国際収支面でどうしようもなくなった国はそうであるが、それが全てではない。
ASEANや中南米の中進国は、規制緩和、公的サービスに対する民間活力の導入、資本市場育成等のためのアドバイスを求めている。中南米の一番の危機国でも、世銀から借りず、スタンドバイのみで済めば越したことはないと考えており、インフラ需要は市場から資本を調達しているのが実態である。
低所得国も、世銀との関係では、安い資金の融資を受けることが中心ではあるが、PRSPを中心とした開発戦略策定が重視されてきており、全体的な貧困戦略やセクター別戦略策定が期待されている。
最後に、最貧・困難国(LICUS)、即ちカンボジア、ミャンマー、ボスニア、コンゴなど、戦乱で政府が十分に機能していない国でどのような戦略を立てるかが、世銀の今後の課題になっている。成果ベースの配分という観点からは多額の資金を提供できないので、これら諸国が必要としており世銀が提供できるのは知的貢献が主体となる。具体的には、公的部門のキャパシティ・ビルディングなどが中心となる。
以上の通り、幅広い種類の途上国を考えても、需要は資金から知的貢献に移行している。
6.日本の援助の構造を変える
それでは、日本はどのような援助をすれば良いのであろうか。今の日本の援助の構造は、プロジェクトが中心となっており、知的貢献が主体ではない。これをあらゆる意味で変えないと、日本の援助の知的貢献は育っていかないのではないかと危惧している。
従来の援助は、ステレオタイプ化して言えば、商社やコンサルタントがプロジェクト(多くはインフラ・プロジェクトや輸入代替型の巨大な工場)を発掘し、相手国政府に売り込む。それを、相手国政府が日本政府に要請する。要請主義と言われているが、実際にはサプライ・ドリブンであり、日本のサプライ・サイドが相手国政府を説得した結果として援助が決定される。そして、評価はプロジェクトの実施状況が中心であり開発効果が基準とはなっていなかった。
これからの援助は、日本の公的部門が、単なる作文ではなく、実際の分析と処方箋に基づいた国別援助政策を策定することから始まる。日本の公的部門として、まずは上流部門の処方箋の作成に参加することが一番大事であり、その過程が国別・セクター別の政策分析やPRSP等の政策対話である。このような国別・セクター別戦略を踏まえてJICA・JBIC等個別の機関が援助プログラムを策定し決定する。その具体的内容は、どのような政策改革を促すか、どのようなキャパシティ・ビルディングを支援するかという知的支援が中心となる。プロジェクトはそのような大きなプログラムの一環として位置づけられたもののみを実施する。そして、開発の成果に基づく評価を行う。
7.知的支援の担い手と制約
これを実現するために、今の体制のもとで、果たして誰がどのような役割を担っていけば良いのか。
知的支援の担い手としては、外務省、財務省などの省庁、JBIC、JICA、大学、研究機関、シンクタンク、NGO、コンサルティング会社、個人と数多くあるが、それぞれの制約をどのように乗り越えていくかを考えないと、援助の構造転換は出来ない。
具体的にどのような制約があるかといえば、まずは政策分析、国別戦略等に携わる人的・時間的余裕のある人がいないことである。これは、役所も援助機関もそうである。忙しくプロジェクト形成に携わる一方で、国別戦略の面では極く一部の国でPRSPやCDFプロセスに出席するのが精一杯であり、多くの国をカバーしようとしても物理的に人がいない。
次に、ローテーションが頻繁に行われ専門家を育てる人事制度が整備されていないことである。皆ジェネラリストであり政策分析のための人材が育っていない。
また、被援助国の現場での政策対話能力が不足している。PRSPは、現地のドナー・政府間の援助調整が基本となってきており、現地で対応する必要がある。従って、本部からのサポート体制を作った上で、各被援助国に専門家を貼り付いて政策対話を行う必要があるが、そのための手当が十分になされていない。
もし本部にも現地にも援助の専門家がいないとすると、ジェネラリストでもある程度政策対話に対応できるようなシステム支援が必要となるが、体系的な分析手法、ケース・スタディ、統計、教材等のデータベースの整備も含め、そのような支援体制が整っていない。
更に、コンサルティング業界も、ソフト・政策分野での対応能力が全般に不足している。
8.中央アジアでの知的支援
具体例として、私がEBRDへの出向中に手がけた中央アジアでの知的支援を挙げたい。ウズベキスタンの中小企業のクレジットラインは、国際競争入札の結果、日本のコンサルタントが担当することとなり、中央アジア初の日本人の知的貢献ということで大きな期待が持たれた。本件は、邦銀OBのジェネラリストがハンズ・オン(自ら実施)の形で行ったが、現地人から見ると自分たちの何十倍という高コストを負担することとなり、現地の実状に合わない担保重視の日本の経験のみに基づくアドバイス、体系的な教材やコンピューター・プログラムなどのサポートがなく経験と勘のみに頼った手法等、さまざまな問題が現地側から提起され、結果的には高コスト日本の知的貢献を考える上で数々の問題点が見られた。
これに対し、カザフスタンの銀行セクター改革は欧州系のコンサルティング会社が担当したが、短期の集中研修を活用し、低コストで教材・マニュアル・データベースを活用しつつ、グローバル・スタンダードの内容の支援を行った。しかし、このプロジェクトは、他の要因で途中で中断されてしまった。
9.総合的な知的支援システム
それでは、日本が知的支援を実現するためにはどういう制度を構築したらよいのか。それには、総合的な知的支援システムが必要である。個別の役所なり援助機関の中で能力をつけていくのは厳しい予算上・制度上の制約があることから、今の組織の枠を越えた外側に、官庁、アカデミック、NGO、コンサルティング産業の緩いネットワークを作るのが良い。これは、政策研究大学院大学の大野健一教授の考えと近い(www.grips.ac.jp/forum/)。それが、今までのプロジェクト・ファインディングやエンジニアリングとは違う新しい政策分野で、組織の枠を越えた知識の提供を行う。
具体的には、既存の実証研究、ケース・スタディー、分析ツール、Eラーニング・ツールなどの多角的な知識の収集と提供を行うとともに、ウェブサイトを通じた知識共有化プラットフォームを構築する。このように、新しい技術を使った多角的・横断的な知的支援システムを作って活動し、現場にいる人をサポートすることが必要である。当面は、アジアの貧困国に対するPRSPの分析参加のための能力をつけることに焦点を絞ることが適当と考える。
10.官庁、アカデミック、NGO等の緩いネットワーク
官庁、アカデミック、NGO等の緩いネットワークのイメージとしては、各分野から30−40人程度の若手の専門家のグループを想定しており、世銀側にも対応チームを組成することも考えられる。そのネットワークが開発戦略(PRSP、MDG等)につき徹底的に討論し、分析ツールを共有化し、チーム・ビルディングを行う。そして、世銀等が主催するワークショップなどにリソース・パーソンとして参加する。このネットワークが、組織の垣根を越えて、官庁、NGO、コンサルティング会社等に政策アドバイスや研修リソースを提供する。研修期間を終了した後も、人事ローテーションにより全く別の分野に配属するのではなく、アジア等のPRSPへの参加・貢献が継続できるようにしていく。
11.新しい政策分野へのフォーカス
新しい政策分野へのフォーカスとして、まずはPRSPの策定過程での分析・調査への参加が挙げられる。具体的には、参加型貧困分析(PPA)、公共支出分析(PER)、財務管理分析(CFAAR)、貧困・社会・政策効果分析(PSPIA)、金融セクター分析計画(FSAP)等のコアになる分析手法をマスターして現地で適用できるようにしていく。また、JICAか開発した紛争の分析・評価システムなど、日本側からトランスファーできる手法もあり得る
セクター分析については、セクター・ワイド・アプローチ、ドナー調整会議、CDF、セクター別作業部会等への対応が重要である。
事前・事後評価・モニタリングについては、開発成果を中心とした評価手法の開発に取り組む必要がある。
参加型社会開発については、キャパシティ・ビルディング、参加型農村開発、ICTの活用等が挙げられる。
その他、政策改革アドバイザリーや社会サービスへの民間活力の導入等も考えられる。
12.多角的な知識の収集と提供
以上の課題について、単に討議するのみならず、支援システムを活用しつつ多角的な知識の収集と提供を行うため、開発戦略に関する実証研究の体系的紹介、ベストプラクティス、ケース・スタディー、分析ツール・キット、統計・データ、討論フォーラム、リソース・パーソン、パートナー機関の紹介などを整備する必要がある。このように実際の行動を通じて学んでいくことが出来る。
13.知識共有化プラットフォームの構築
これらの作業を踏まえ、知識共有化プラットフォームを公共財として構築していくことが望ましい。このプラットフォームのもとで、開発テーマ・トピックのカテゴリー化を行うとともに、実証分析やケース・スタディー等、いろいろな組織・機関がこれまで得た情報を組織横断的に共有するためのウェブサイトを作り、共有ファイルとしてディレクトリーを作成する。このプラットフォームを共有し、知的貢献度に応じたガバナンス・メカニズムの構築まで視野に入れるべきである。(この関連で、世銀が日本及びアジアのNGOのために開発した知的支援システムのプロトタイプwww.worldbank.org/communitypartnersを参照されたい。
【席上及び事後の電子メールによる意見交換】
→(日下部元雄)「従来の援助」と「これからの援助」の対比については、ステレオタイプ化したので批判はあると思っていた。自分が強調したかったのは、プロジェクトの良さを忘れることではなく、プロジェクトをプログラムの中にはめ込んでいくことが重要であり、その際にプロジェクトが先にありきで議論が出発するのではなく、そもそも何が必要かと言う議論が必要ということである。そして、多くの場合にプロジェクトが民間活力で出来るようになっている中で、援助がやることは政策に近い部分が大きいと思う。物理的なハードウェアの援助の方が良いという日本人の思考は理解できるところであり、確かにその方がハードウェアの存在を確認できる分だけ汚職などは防げる。しかし、ハードウェアが出来ても成果が挙がっていないことも多いので、ソフトや政策面も大事ではないか。
→(日下部元雄)アジアの中進国では、現場の民間企業から投資環境のどこを改善すれば良いのかという意見を聞くことが重要である。しかし、もう少し所得の低い国では、受益者やステークホールダーから出てきた意見に耳を傾けることも重要である。そこから、今までの援助の非効率な面がかなり解決できる。例えば、なぜ生徒が就学しても卒業まで到達しないのかについて、実際に子供を育てている人から意見を聞いて対処しなければ就学率向上にはつながらない。世銀は参加型貧困アセスメントを始めて15年位になっており、実際の貧困者へのインタビューを踏まえてPRSPという枠組みが出てきている。確かに、PRSPが理論通りに動いていない面もあり、マクロ経済面などは、従来同様のトップダウンで出てきている。しかし、各種政策レベルでは、参加型の貧困分析が大きな役割を果たしている。日本としても、このような努力に最大規模のドナーとして積極的に参加していくことが、日本の援助を改善していく上で極めて重要ではないかと思う。
→(日下部元雄)ご指摘の点は同感であり、世銀の各種会議でIDA案件のEconmic Rate of Returnについて詰めて吟味されているのを聞いたことがない。自分としては、世銀としてできているかという点ではなく、過去の失敗を分析するには、現場の実状に即したEconomic Rate of Returnの分析が必要という点を強調したかった。
→(日下部元雄)先般、世銀研究所所長が訪日した際、日本の各組織・機関のキャパシティ・ビルディングを手伝いたいとの話をしている。NGOやアカデミックを含めて、政策運営に集中した新しいネットワークを構築できないか模索している。世銀研究所からは、この夏からタスクマネジャーが東京事務所に派遣される。確かに、4機関が別々に世銀と協議しているのは日本だけである。当面、援助庁がすぐにできるというわけでないが、4つの機関の上層部は組織の枠を越えたキャパシティ・ビルディングをやる必要があるという強い危機感を持っていると理解している。世銀側からこのような構想を簡単に説明した際には、それぞれ組織を挙げて賛成してくれるという印象を受けた。
→(日下部元雄)先般の本フォーラムでの大野健一教授のプレゼンテーションと自分の考えで唯一違う点であるが、大野教授が日本の知的貢献は日本やアジアの経験を踏まえて行うべきと主張しているのに対して、自分はある種のグローバル・スタンダードから出発した上で、従来の世銀・IMFに見られたように単一のモデルを当てはめるのではなく、いろいろなモデルを提示しつつ、国の現状や環境に応じて適切なモデルを適用すべきと考えている。日本やアジアのやり方がすべて良いという前提のもとで始めても聞いてくれない。各国の状況の違いは大変大きく、発展形態も異なる。日本型を広めようというのではなく、グローバル・スタンダードの存在を前提として、各国の実証分析を踏まえて各国と議論しながら適切な方策を見つけ出すというのが良い。自分が提案している知的支援システムも、それが出来る基礎を作ろうとするものである。
→(日下部元雄)自分は教育分野の専門家でないが、インプットとアウトカムの関係は極めて複雑であり、教育だけでなく他のセクター、例えば水分野(水汲み)や農業収穫なども関連していて、単に教育に資金を使ったから成果に結びつくわけではない。教育投資の効果は、その国が輸出型・雇用創出型の産業政策をとっている場合に高いという分析もある。従って、教育分野だけを研究しても仕方がないということを述べたかった。
その中で、決して開発・援助、国際協力の面でのメインストリームにない日本が、自信を持ってグローバル・スタンダードの政策立案組に加われるのか。国際機関に働く立場で、私見では、日本人スタッフは、現状を見る限り、政策サイドの議論についていくのは大変である。
この分野で、日本以外で教育を受けたり、学部から博士課程も含めて欧米の大学・大学院を卒業している日本人もいないことはないが、日本で政策に関わりつつ世銀他の援助機関や対象国と政策論を十分に議論できる人は育っていない。また、よく引き合いにだされるように、日本独自の開発論が育っており、ある意味で、他の国際機関等の開発援助機関との議論になじみにくいものも多く、さらにはやや独善的な傾向もあり、これから世界標準を議論できるグループを作ろうということには賛成だが、遠く長い道のりになるのではないか。
それよりも、日本の得意なところを伸ばす方が得策ではないか。例えば、技術面では日本に比較優位がある。 欧米とある程度棲み分けをするとすれば、欧米には上流(政策)をリードさせながら、下流(実施)のソフト面で日本の技術や能力が活用できる。日本の生き方はむしろそちらではないか。もちろん、開発状況にある国々の環境・背景を十分に理解し、現地におけるキャパシティのレベルをよく考慮することは、言うまでもない。
→(日下部元雄)政策分野と技術分野の強化は二律背反ではない。PRSPの処方箋などの政策分野では日本が全く立ち後れている。この分野について全くないところをどうしようか提案した次第である。現在のところ、官庁も実施機関もコンサルティング会社もNGOも真剣に取り組もうとしているが、キャパシティがない。いつまでもゼロで良いのか。長い道のりだが、今の機会を逃したら日本は置いてきぼりを食ってしまう。実際のところ、他のドナー国も似たような状況にあり、どの国もこれからである。今なら出発点が共通であり、日本が努力すれば、政策対話に貢献し分析に参加できる余地はある。しかし、あと5年間放って置いたら入り込む余地がなくなるというのが私の危惧である。他方、技術分野・マネジメント分野については、確かに日本は得意であり、意図的に支援しなくても育っていくだろう。能力があるし現に活躍できる人がいる。
今般議論されたような政策面での体制強化やネットワークの形成のためには、いかに日本の政治家を巻き込むかが鍵ではないか。根本的な点から改革しようとすると、やはり政治的意思の働きが必要だと思う。そのような方向で議論してはどうか。
日本の新しい援助、枠組みを重視した援助スタイルのためには、若い人材の育成が重要である。援助の実務家レベルでの横のネットワーク構築、研修プログラムの実施等のアイディアが出されたが、学部を卒業した人材の大学院プログラムと結びつけて、枠組みの担い手になる人材育成と合体させることが出来れば好ましい。現時点では、先進的なアイディアを持つ人は欧米の大学院プログラムを卒業した人のみというのが実態である。
知的貢献といった場合に、ストックとしての知と、オンゴーイングで作っていく知がある。日本の現在進行形の援助のプロセスから分析して、ある程度汎用性の高い知的体系を構築していくことが重要である。おそらく、日本の比較優位はフィールドから入るということだと思う。フィールドでは、実体験に即して価値中立的な観点から物事をとらえることが出来る。、例えばガバナンスについて、腐敗は悪い。それをどう回避するかというトップダウン思考でなく、なぜ腐敗が存在するのか、その力学を利用して建設的な力学に変化させる可能性はないのかという思考が生まれる。そのような分析・研究は遅れているので、援助実務を通じて独自の研究として発表してはどうか。
世銀で働くようになって遅まきながら気が付いたのだが、我々が世銀で仕事をするに際して、仕事仲間の国籍はほとんど何の関係もないし、興味もない。A国のBセクターの事情を知りたいとした場合に、A国出身の人に聞く必要はほとんどなく、どの国籍の国民であろうと、A国のBセクターの事情を知っている人に聞けばよいわけである。もしC国の出身の人はC国での開発経験を生かして仕事をするのが前提となっているのであれば、他の国の参考となるような最良事例(ベストプラクティス)を持たない途上国出身の人は、永遠に開発援助の仕事をできないことになるが、(失礼ながら)アフガン人でも、カンボジア人でも、アフリカ人でも、世銀で立派な仕事をしている人はたくさんいる。世銀の中で、「自分の国ではこういうことになっている」などという議論をしている例はついぞ見たことがない。開発援助を行う人は、自分の得意とする分野について、その最良事例(ベストプラクティス)がどこにどういう形であるかを知っていればよいのであって、その事例が彼の出身国にある必要は全くないわけである。
これは、国際機関でなく、バイの援助機関でも同様だと思う。JICAやJBICが、他国に政策アドバイスを行う際に、「日本においては、こうこうである」と言う必要はなく、「自分の機関の過去の経験の中から、D国を援助した際の、Eという経験が、貴国にも役に立つのではないか」と言えれば良いわけである。開発援助に熱心な英国の援助庁(DFID)や北欧の援助官庁職員が、「わが国の経験によると、、、」などと言っているとは到底考えられない。そのようなことばかりをいう人は、途上国の人に、より煙たがられるのではないだろうか。アジアの国には、同じアジアの国の経験こそが役に立つのだ、と考えているとしたら、それは少し思い込みが強すぎる場合があるかもしれない。
これだけ情報通信が発達した世界では、もはや自分(および自分の国)の歴史や実体験だけで仕事をするというのは、少しアナクロであって、相手国の問題点を把握する能力、そしてそれをベストの方法で解決するための情報へアクセスする手段とネットワークを持っていることの方が、はるかに重要なのではないだろうか。そう考えれば、弱体といわれる日本人のコンサルタントにも活躍の余地はいくらでもあるように思うが、どうだろうか。
但し、私自身は、日本の開発経験について、色々と分析し研究しておくことは、興味があるし非常に重要だと思っている。「真の国際人になるためには、まず真の日本人でなければならない」とよく言われる。日本人として、日本のことをよく知っておくのは不可欠なことだが、そのことと、実際の開発のメニューとして日本の開発の経験を振りかざすことは別のことと考える。
繰り返しになるが、開発の議論において、日本が立ち遅れていると広く認識されている、上流部分への参加・貢献を今後推し進める意図的な努力が必要であるという点に全面的に賛同する。一方、過去の開発コミュニティの動向は、一面で、目の前の不都合の原因を安易に上流部門へ求め続けた、上流へ逃避を続けた軌跡であると認識している。同時に、ポリシーの重要性を強調するために、コケたハコものを対置したかに取れるプレゼンテーションは、ミスリーディングであると感じた。いくら立派に完成したものでも、理由が何であれ使われないハコが無駄であるように、いくら立派に書かれたポリシーも、現実に動かないのであれば、理由が何であれ、それはまったく同じ理由で無駄なのである。更に、そのもとで動員されたリソースが無駄になる(単にポリシー作成のTAの経費だけが無駄になるのではない)、という意味では、ステークは大きい、ということがより明確に認識されるべきかと考える。
PRSPは、その意味で、大変意味のある挑戦の事例であると考える。「情」を原動力にここまで進んできたPRSPが、いよいよその紙の内容を実施に移す段になれば、実は紙を書くエネルギーや知力より、実際に人々に今までとは違う何かをデリバリーするために必要なエネルギーと知力のほうが圧倒的に大きいことが直ちに明らかになるだろう。デリバリーのメカニズムがなければ、ただのハコ、ならぬ、ただの紙に終わる。しかし、ポリシーの出来がよく、皆に理解されれば、その下で作られるハコはより有効に利用され、生活の向上につながる、という「期待のストーリー」を実現すべく、われわれはコミットしたのであり、これから一つ一つの問題を今度は上流に回避せず着実に解決していかなければならない。PRSPは、これ以上の上流への逃避の道をあらかじめ断ったうえで地面での作業に取り組む、という、新しい形態であると自分は評価している。
今般議論されたようなポリシー指向の歓迎すべき点は、多様なアクターの参画により、プロセスの透明性と独占の排除=文殊の知恵の具現化がかなうかもしれない、ということにあると思う。上流部分への参加・貢献が、紙を書く作業に参加して頭を使っているフリをするため、という矮小化であってはならず、日本であれ、誰であれ、流行の後を追いかけるために参加するのではなく、いまよりもよいもの(workするポリシー)とするために参加する、そのためには先人の経験を学ぶだけではなく、独自のインプットも個々(国があてにならないなら個人)が必死で磨く、というのが本旨であると理解する。
日本の経験・アジアの経験を論じる際、「情」が絡むためか、論者によって用語の含意にかなり差があるためか、どうもかみ合わないことが少なくないと感じる。日本の経験とは、日本自身の戦後の(あるいは遡って明治以降、さらには江戸時代まで遡ることもあるようだが)開発経験を指しているのか、戦後今日にいたるまでアジアを重視した経済協力の実践を含めた経験を指しているのか(この場合は、直接の資金・技術提供の当事者として、というだけの事を指すのか、日本が身近に見たアジアの動きを指すのか、という分かれ道もある)がしばしば不明である。
大野健一教授は、日本の経験のうち何が使えるか、選択してうまく使え、という事を言っているのであって、「アジアで成功した日本の経験をそのまま使え」と主張しているのではないと理解している(一方、二分論を使う側が、アジア重視=日本のこれまでのやり方が正しかったと強調する意図で、つまみ食いをする余地はあり得る)。その前提で申し上げれば、日下部氏の指摘と大野教授の指摘の差異は、最初の取っ掛かりをごく身近なところから拾うか、グローバル・スタンダードとされるもののうち扱いやすそうなものから拾うか、というところなのかと乱暴にも整理して伺った。両論とも、次のステップとして、「だから、例えばアジアで行われるPRSPのプロセスにはもっと積極的に関与すべし」、と提言しているので、実用上はさらに近接しているのだろうと思う。ただ、この入り口の違いは、大変おもしろい議論だと思う。
「日本人や日本の機関が開発の仕事をするのに、日本の開発経験を生かすことは本当に必要なのか」という問題については、役に立つかどうかだけが問題で、「日本」にこだわる必要はない、という点にまったく同感で、このような冷静な視点が、日本における「顔」がうんぬんで堂々巡り、という内向きの議論に活を入れるためにも不可欠であると考える。
関連して私見を付け加えさせていただくと、それでもなお、日本にはサブサハラアフリカの複雑性をあまり理解していない一方で、もと欧州列強が今でも足を抜けない部分があるがゆえに食い込んでいるのと似て、日本のアジアにおける腐れ縁のゆえに欧州のいくつかの国とは別の視点を持っている、というような、ドナーごとによる距離感の違いは、確かに存在するだろうと思う。
だから、アフリカの援助は欧州のほうがうまくいくはず、でもなければ、アジアの援助は日本にまかせておけばいい、というわけには行かないし、だからアフリカの援助はこの際日本のアジア式がうまくいくはず、でもなければ、アジアの援助はガバナンス重視の欧州勢にバトンタッチすればいい、というわけでもない、要するに誰もそれほど頭が言い訳ではないので、一生懸命相互に学ばなくてはいけない。
その中で、日本の経験を押し付けるとか押し付けないとかという議論以前の問題として、膨大な資源を割いて過去40年余り行ってきた開発援助事業の成否の経験、現在の社会・経済の課題へのインパクトの如何に関する知見は、日本と受益国が共有するアセットであり、それの整理を満足に行わずに外に向かっていったい何を言おうというのか、というのがいつも不思議に思うことである。同時に、現在援助に割けるリソースが限られるなら、この整理の結果に基づいて合理化を図り、有効性の低いものから削るというのが当然とるべき常識的手段であり、その作業の結果の裏づけを抜きに、応援団の声の大きい小さい、はやりすたりで加減をするようなことになっては道を誤るのではないか、と考える次第である。既に同様の作業がどこかでなされていることを希望する。
→(日下部元雄)貴重なコメントを頂き有難く思う。政策への貢献は、確かにハコに比べ、当該国の実情と国際的な経験を踏まえた実践的なものでない限り、単なる紙になる危険がより大きいとのご指摘はもっともである。しかし、日本が世銀に対し拠出している信託基金を使って、世銀の約半数のプロジェクトの準備調査を行っているが、これらは技術面だけでなく、政策面やInstution Buildingの面に力を入れており、事後評価でも大きな貢献が認められている。他方、これらは、多くは外国のコンサルタントをアンタイドで使ったものである。日本がお金だけでなくコンサルタントの知識でも貢献できるようになることは、日本の援助が真に顔の見える援助となることの重要なステップだと思う。世銀では、日本のコンサルタントがより多く日本の資金シェアに応じた貢献が出来るよう情報面での出来る限りの支援を行ってきたが、政策改革面でのグローバル・スタンダードに基づくアドバイスが出来ることが、今後、日本のこの業界が育っていく上で急務だと感じている。最近この面で活躍するコンサルタントが少数だが育ってきていることを発見し喜んでいる。ご承知のようにPRSPも未だ緒についたばかりでその目指す包括的、長期的、かつ参加型の戦略形成は未だこれからだと思うが、紙にならない、現実を踏まえた計画が出来ることを期待している。
コンサルティング事業をも通じてグローバル・スタンダードに基づく政策策定への貢献を目指すべしとのご指摘については、貸付事業に関わってきた立場から、そのビジネスの対象としての可能性の高いことを痛感すると同時に、それを可能にするための工夫が必要ということも痛感している。PHRDは、その名が示すように、明確に政策策定の支援を人材育成とともにターゲットにしているが、関連の事業を通じて感じることは、それを可能にしているのが、コンサルティングを発注する側と受注する側のこなれた関係であるという点である。一方は非常に特定された成果物を期待し、他方は、最大の利潤を追求しながらそれに応える成果物を提供する。 もちろん当たり外れはあろうが、コンサルティング企業間の競争の激しさを見れば、発注側がポカをしない限り、事故でばばを続けて引く可能性は高くはない。
コンサルティングという業種に開発の場で活躍してもらうために鍵となるのは、受注側のキャパシティ(技術的・専門的の能力、およびプレゼンテーション能力)の向上であると同時に、発注側の能力(TOR作成能力および管理能力)の向上でもあるという印象を持っている。
コンサルティングが、長らく官業の補完でしかなかった日本において(多くの分野で官そのものにエンジニアリングのキャパシティが過度に集中していたため、と聞いている)、日本において、発注側と受注側が、これからどのような関係を築いていくべきかということを考えると、ひとつは、資金的シェアに見合った日本のコンサルティングの参加が可能となるべく、これまで手薄だった政策策定などの分野に積極的に参加してもらうように、守備範囲(攻撃範囲というべきか)を広げてもらうことが急務であると考える。
たとえば、「地方分権」というテーマを、エンジニアリングと組みあわせて論じることのできるコンサルタント企業があれば、受注の機会は広がるであろうと考える。また、例えば地域社会(コミュニティベース)での紛争処理のガイダンスというような、コミュニケーションのプロと法律のプロ(さらには会計監査や、品質管理、統計処理等ケースバイケースで複数の分野のプロ)が手を組んで取り組むべき課題も、これからは徐々に増えてくると考える。
しばしば、世銀事業で地方分権も含めた制度的な変更が支援されること、そうした制度的な変化を受けて、他の開発援助事業も影響と受けざるを得ないことを考えれば、PHRDのスキームで世銀事業に参加し、当面の方向性を察知し、人材の確保や受注の準備する機会を図ることは、日本のコンサルティング企業にとってのメリットであり、短期の利潤を得るための事業としてだけではなく、一種の先行投資としての視点もあってよいのではないかと考える。そのためには、コンサルティングという業種の特色を活かすためにも(売り物はお客次第)手持ちの人材のプールを事業のニーズに合わせる努力というものも当然必要になるし、「陳情」ではなく、「売り込み」で事業を獲得するためのプレゼンテーションの文化も不可欠の要素であると思う。この点は、一昨年の日本のコンサルタント業界の世銀タスクマネージャーとの意見交換会を後ろで傍聴していて強く感じたものである。
ちなみに、プレゼンテーション能力の彼我の差、というものは、世銀で働いていてひとつ舌を巻いてしまう部分である。巧言令色…に対するところの、男は黙って…という美学?都合のいい言い訳?が邪魔してきたのか、わが身を筆頭に、どうしてこう日本人はへたくそなのかなあ、と思うことがしばしばある。また、さらに基本の部分で、かつて本フォーラムで日本人の語学能力の問題について提起され、感銘を受けたことがある。今後、こうしたコミュニケーション・スキルについては、日本のプレゼンスという意味では大変重要な要素であると感じる。
同時に考えるのは、(多くの事例の詳細を研究したわけでもない身で申し上げるのは僭越ながら)コンサルティングを活用する委託事業では、委託する側が、成果物の品質の確保について責任を持つ体制が必要であること、具体的には、委託する側が、何をどうするための調査・技術協力が必要なのかを明確にした付託事項(TOR)を作り、それを受注側に遂行してもらう管理能力を身に付けることである。
まっさらの紙に、自由に絵を描いてもらう、という、偵察のような事業も中にはあるかもしれないが、むしろ、政策策定のための具体的な作業になれば、A、B、Cというオプションのどれが適切なのか、それぞれにプロ・コンを挙げて提言せよ、ないしは、ドナーとしてAというオプションが最適と考えるなら、それを主張するための材料と、当然想定される批判、それに対する説得・反論材料をそろえよ、という、発注者としての明確な意思と、その後に控える議論に備える姿勢、そしてプロフェッショナルな作業の成果は判断材料として率直に受け入れる姿勢(プロフェッショナルでない成果物は受け入れないプロフェッショナリズムということでもある)、というものを、受注側は身に付ける必要があるのではないかと考える。
論点がそれてしまった感があるが、知的貢献のための具体的な手段のひとつは、コンサルタント事業の奮起、と感じていたので、ご示唆に刺激されて申し上げた次第である
先学期、PRSPについて勉強する機会があり、ウガンダ、ボリビア、カンボジアのケースをPRSP/I−PRSPと各種資料を通じて調べるとともに、世銀の経済学者、社会学者、NGOの政策部門で働く方々、USAIDの担当者にインタビューした。最終的に学んだことの一つは、政策は実際にいろいろな分野でプログラムまたはプロジェクトとして実施されて、初めて貧困層に有益な開発成果につながるということであった。
当たり前のことだが、(1)貧困問題が様々な問題と密接な関係にあるために、包括的な貧困削減戦略が必要であるというPRSPアプローチの基本方針が大切であると同時に、(2)長期的な視野に基づく包括的な戦略を参加型で策定することだけで満足してしまっていてはいけないということである。よくPRSPの成功例(政府が主体的に参加型で戦略を策定したという点で)としてとりあげられるウガンダやボリビアでも、戦略を実施する上で、様々な問題をかかえているようである。ウガンダでは、貧困層への政府予算の配分が増加されているにもかかわらず、行政サービスの質が上がっていないという報告がされていた。ボリビアでは、政策を実施する上での中央政府、そして、地方分権化がすすむ当国で特に大切な地方政府のキャパシティ不足を懸念する声が、世銀、国際通貨基金のジョイントスタッフアセスメント、CIDA、UNDPの国事務所、カソリックリリースサービスによる報告書に反映されていた。特にCIDAは、包括的な戦略に見合ったキャパシティが、中央政府、地方政府になく、包括的な戦略をたてるだけでは意味がないと強く訴えていた。
また、政策分野での援助は、参加型貧困分析等に基づく現状の調査、それに基づく政策の策定、実施、評価、そして、その評価に基づきまた政策・戦略を策定していくという過程のなかでとらえていくことが重要ではないかと思う。インタビューをした世銀の社会学者は、PRSP等政策の策定は、一回きりで終わるものではなく、初めての政策策定の段階で包括度、住民参加の質等において完全なものを目指すことよりも、いかに政策策定、実施、評価、そして政策策定という過程のなかで政策の質を向上させ、開発成果を達成していくことが大切であると強調していた。あくまでも貧困層への開発成果が最終目的であり、日本の目指すべき知的援助もその視野を忘れないことが重要であると思う。
以上を踏まえ、政策を実施するための政府のキャパシティが不足している国には、その分野で、可能であれば日本が援助を通じて支援していくことが有効であると思う。貧困層にとって必要とされている行政サービスを必ずしも政府が実施する必要があるということではなく、政府が状況に応じて民間セクターをとりいれて、社会サービスの実施を管理していく能力を形成することへの協力が有効ではないかと思う。
また、日本の援助を、参加型貧困分析等への実施、参加を通じて、現地の住民または、貧困層の人々のニーズに基づいたものにすることが大切だと思う。そして、最終目的は、途上国でそのような参加型貧困分析、調査の出来る人材の育成をするということだと思う。先日世銀で参加した貧困・社会・政策効果分析(PSPIA)ワークショップで、ベトナム事務所のPREM(poverty reduction and economic management)チームより参加していた人が、ベトナム政府の間で、PRSP策定過程において様々な調査、分析を外部のコンサルタントに頼らなくてはいけないということに対する挫折感があると述べていた。政策策定、評価実施の毎に外部のコンサルタントがやってきて、完成度の高い資料を残していくだけで、現地では能力が育っていかないということであった。日本の援助の知的貢献の一環として、途上国で、政策策定過程での分析、調査の出来る人材を育成していくことも有効であると思う。
(以上)