貿易・環境・開発の相互連関と日本にとっての意味合い
2002年8月7日、ワシントンDCにて、政府、実施機関、世銀グループ・米州開銀・IMF、企業、NGO、シンクタンク・大学、メディア等の経済協力関係者約20名が、貿易・環境・開発の相互連関と日本にとっての意味合いについて、昼食を交え個人の資格で意見交換を行ったところ、概要次の通り。
【ポイント】
冒頭プレゼンテーション担当:吉野 裕(よしの・ゆたか)―――――――――――――――
1969年静岡市生まれ。1992年上智大学法学部卒業後、ロータリー奨学生として渡米。1995年コロンビア大学にて国際関係修士号取得。1995年から98年まで、外務省専門調査員として国際連合日本政府代表部に勤務し、人口開発問題担当として国連人口基金執行理事会、人口開発委員会を担当した他、国連総会(第二委員会)、持続可能な開発委員会等に出席。1998年より、ヴァージニア大学・経済学博士課程在籍、2001年11月より博士候補(ABD) 。国際貿易論および公共経済学専攻。2001年、環境政策シンクタンクResources for the Futureにて研究インターン。(プレゼンテーション内容は発表者個人の見解であり、所属先、ワシントンDC開発フォーラムの立場を述べたものではない。)
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< I. 冒頭プレゼンテーション >
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< I. 冒頭プレゼンテーション >1. はじめに: 問題の意義・捉え方
(1)貿易・環境・開発の相互連関の概念化
貿易、環境、開発の三者の間には、複雑な作用・反作用の関係、あるいは複雑な因果関係が働いており、単純な概念化の作業は容易いことではない。また、三者それぞれにおいて、経済的・物理的な現象のレベルとともに機構・制度・政策のレベルの二つの次元が存在している。三者の間の関係は、果たして有機的に結び付いているインターリンケージ(連関性) なのか、それとも単なるインターフェイス(接点) であるかという議論はあるが、これは現象あるいは政策のどちらの次元で考えるかによって違いがある。貿易と環境は単なる事象の上での接点の問題にすぎないといくら経済学者が主張しても、政策レベルで考えれば充分に有機的な連関性が見い出さ得る。なお、一つ注意しなければならないのは、三者の関係を分析・解釈する上で、三者をどういう順番で結び付けるかにより、これまた違った論理が展開し得るという意味で、path dependencyを考えなければならないとの点である。貿易、環境、開発は6通りの並び替えが出来るわけだが、どの順番で連携付けているのかをはっきり示し、議論を整理しておく必要があろう。本日の発表については、現象・政策両レベルにおける貿易と環境との関連を、途上国の直面する持続可能な開発という文脈で捉え、開発協力の意義について議論してみたい。
(2)グローバル・イッシューに対する開発協力
一般国民の視点から、開発問題が如何にグローバル・イッシューであるかを分かろうとするのは容易いことではない。しかし、貿易と環境という二つのグローバル・イッシューと関連づけて考えると、比較的入り口が見つけやすいのではないだろうか。また、貿易と環境の問題は、開発政策上の主要問題である自由貿易と国内産業育成のバランスの議論との類似点もある。つまり、国内産業育成が世界経済への統合に対する国内の経済的な安全保障上の課題と捉えれば、環境問題は国内の社会的な安全保障上の課題とも捉えられる。いずれにせよ、貿易(世界経済への統合)と環境(社会的安全保障)の狭間を埋めるものとしての開発協力の意義を考えていきたい。
(3)本日の議論の意義
本日の議論においては、参加者の方々のバックグラウンドを活かし、開発協力の実務の視点から、如何に貿易・環境・開発の概念的な連関性を、実際の開発協力の政策レベルの問題として応用し得るか、そしてその政策上の意義は何なのかという点を基調に据えたい。その中で、このようなエクササイズを通じて、お題目のレベルを超えたグローバルな開発戦略の一端となり得るか、日本の独自性を活かしたグローバル戦略となり得るかについて併せて考えられたらと願っている。
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2.貿易と環境における南北格差・南北対立の構造
(1)貿易と環境問題の接点: 現象・制度両次元のパラドックスについての概念的「遊び」
貿易と環境の問題構造を分析し、理解する上で、貿易・環境両者とも、現象の次元と制度の次元で構造的なズレ(「パラドックス」)が存在することに留意する必要がある。国際貿易については、先ずは現象のレベルで、国と国との間の差異を基盤とした現象(比較優位の原理)という意味において「異質性」に立脚しているのにも関わらず、同時に制度のレベルにおいては、交易活動、モノの交換として、ネットワークを円滑に働かせる上での交換ルールを擦り合わせる必要があり、その意味では制度として標準化を基盤としている。つまり、ある種の「同質性」に立脚している。他方、環境問題については、現象のレベルにおいて、物理的現象として越境的、グローバルな性格をもちえるという意味で問題の国際間の共有という性格が強く、「共有性」に立脚した問題であるのに対し、制度としては、補償、責任負担というコミットメントを国際社会のメンバーに要求するものとして、問題解決のための負担は国際的には差別的に適用される、つまり制度としては「差別性」に立脚しているといえるのではないだろうか。
貿易・環境の問題は、この二つのパラドックスが掛け合わされ複雑になるわけである。さらに、生産地と消費地の地理的隔離に国際貿易の効果があるわけだが、環境問題は生産・消費双方においておこる現象でもある。責任負担の地理的分離はさらに事情を複雑にする。あくまでも市場原理(需要・供給の価格弾力性)で責任を分担が決まると仮定しても、法的・制度的な問題は市場のように動かない。結果として貿易と環境の接点は、以前流行した「ルービック・キューブ」のような複雑な状態である(下の図式参照)。
+異なる環境問題(国内、地域、地球規模) +南北間の経済・制度格差
(2)貿易と環境の接点でのイッシュー
貿易と環境の接点におけるイッシューとしては、(イ)貿易の自由化と環境への影響、(ロ)環境政策による国内産業の国際競争力への影響、(ハ)環境保全目的のための貿易措置、(ニ)国際貿易法と国内環境政策の4つに大きくグループ分けすることができる。(イ) については、貿易促進が経済活動の拡大に加え、産業移転・産業構造の変化をもたらすことにより、国内・地域・地球環境に負の影響を与えるのではないかという古典的な問題である。(ロ))は、高まる先進国内での環境規制が生産コストに影響し、国内産業の国際競争力を損なうことになるのではという問題。(ハ) は環境保全目的のための間接的手段として、どの程度まで貿易措置が許されるべきか、その経済コストはどの程度であるかという問題。(ニ)は、国内環境政策を実施する上で、現行の国際貿易法体系は如何なるインプリケーションがあるのかという問題である。以上、4つの主要問題点は、主として先進国において議論されてきている点であり、「北の関心」とレッテルを貼られがちであるが、本日は、先ず如何にこれらの問題が北と同時に南の関心たるべきかということを主張の一つとして論じたい。それを論ずる上で、先ずはどのような背景において、これらの問題への関心について南北の格差が生じたのか、その歴史的背景を追ってみたい。
(3)議論の歴史的変遷と南北対立
貿易と環境の接点が議論されるようになったは1970年代に入ってからであり、特に先進国内において見られたグローバルな問題、社会問題としての環境問題に対する関心の高まりが発端とされる。1972年に国連人間環境会議(ストックホルム会議) が開催され、また同年にローマ・クラブによる「成長の限界」が出版されたりした。二酸化炭素排出と地球温暖化との関連の議論も復活し、またオゾン層破壊の科学研究報告もこの時期である。同時に経済成長と環境との関連についても意識が芽生える。世界銀行内に環境ユニットが設置(70年) される等、マルチ開発援助体制の中で環境という要素が新たに加わることになり、またストックホルム会議においては、「effluents of affluence」(汚染、自然破壊)のみならず「pollution of poverty」(非衛生的な給水システム、風土病、都市・スラム化))等にも話が及ぶ。しかし、貿易と環境との接点については、基本的には先進国内で高まる環境規制の遵守コストと国内産業の国際競争力への影響につき、先進国(主に米)の経済学者およびその他の貿易実務家の間で研究・議論されるのみであり、例えば72年のストックホルム会議においても、環境問題における貿易の位置づけは極めてマイナーな取り扱われ方であり、主流はあくまでも汚染問題に対する国際的連帯への意識高揚、地球の生態系崩壊・地球の天然資源の枯渇への警鐘であった。
これが90年代初頭に入り、貿易と環境の問題は、市民社会を巻き込み、さらに途上国を巻き込んだコンテンシャスな議論へと展開していく。この展開には主に4つの要因があると考えられる。一つには、(イ) EU-1992統合、NAFTAの発足、ASEAN経済統合、APECスタートに見られるように世界経済の統合の深化を受け 、通商・投資という経済活動と同時に、産業のコスト削減のための越境移動という観点から、環境、労働基準、公正取引政策についても合わせて議論されるようになり、特に環境基準の調整・調和が問題とされるようになったことが挙げられる。また、(ロ) World Commission on Environment and Development(ブルントラント委員会)の87年報告書に代表されるように、「持続可能な開発」という新しい概念が誕生・普及し、工業汚染の処理・防止といった狭義の環境問題(brown issues)から資源の持続可能な利用、天然資源保全(green issues)を含む幅広い環境問題の捉え方が定着し、これが経済成長との絡みで議論され始めた。さらに、(ハ)地球温暖化やオゾン層破壊といった地球規模の環境問題が単なる科学者の間での専門的調査の次元から、一般国民を巻き込んだ公共政策の問題として広く認知を受けるようになったことも大きな要因である。最後に、(ニ)米国の海洋哺乳動物保護法に基づく米墨間「マグロ・イルカ紛争」への「反イルカ」GATT裁定(1991年)により、欧米の環境NGOが「反貿易」「反GATT」「反グローバリゼーション」で勢いづくといった事実も強く影響している。
貿易と環境の問題が、如何に南北間の経済問題として国際政治に絡んでくることになったのかについては、持続可能な開発という概念が、所得配分(distributional issue) を包摂するものとして、貧困問題と環境破壊が一括した問題として考えられるようになった点に大きく依拠している。「持続可能な開発」という概念も、概念として新しく、確立した実証的な裏付けも得られないまま、強いコンセンサスなしに国際政治の様々なフォーラムに踊り出すこととなった。その結果、環境と貧困問題を包括的に考えるという点から派生して、途上国側において「経済成長は環境改善の必要十分条件である」といった単純な見方や「北から南への追加的資金フロー」に対する非現実的に近い期待を植付けることになったという見方ができよう。さらに、一次産品市場の価格への影響力行使、交易条件の改善、農産物の先進国市場開放、技術移転の促進、多国籍企業の規制といった諸点について世界経済の構造上の変革を求める70年代の所謂「新国際経済秩序」("New International Economic Order")構想は失敗に終わったわけだが、その失敗からの途上国側に溜まっていた不満が、この環境・貧困の解釈を南北の経済問題にリンク付けすることになる。つまり持続可能な開発という概念が、単なる世代間の資源利用の効率性(inter-generational efficiency)の追求 に加えて、世代内の資源利用の公正(intra-generational equity)の追求の側面が並立する形になったわけである。
このような背景において、1992年のリオ・デジャネイロの国連環境開発会議(UNCED)が開催されたわけであるが、一方で、自由貿易体制の環境への悪影響、環境基準の南北間の差異から、自由貿易でなく公正な貿易(fair trade)の促進を訴える先進国の環境団体(そしてある程度それを代弁する先進国)があり、もう一方で途上国は、「Green Imperialism」というキャッチフレーズの下、既に彼らの目からすれば不公平な世界貿易システムに環境ルールを持ち込むことでますます貿易体制を不公平にすることに抵抗し、市場アクセス、開発資金フローの増加を求め、この両者が対立する構造が表面化したのがリオの会議である。特に途上国は、年々複雑化する先進国の国内環境基準(製品基準および製造工程基準)は途上国の市場アクセスを妨げる非関税障壁として批判を展開する。同時に、本来であれば多様性に富んでいるはずの途上国諸国であるが、G77という労使交渉的な団体交渉の枠組みにより、姿勢を硬直化させる状況となり、環境は北のプライオリティーであり、南は開発支援の増額、技術移転といった面での北からのコミットメントがない限りでは交渉に応じないとし、貿易・環境において、南北の二分立構造が顕示された。その結果として、リオの「アジェンダ21」において合意されたラインというのは、(イ)環境保護目的のための貿易措置(特に国際環境条約に基づかない一方的な措置)は回避すべし、(ロ)途上国の特別おかれた状況、ニーズに配慮すべし、(ハ) 国内環境基準は経済成長のレベルに合わせての多様性が許されるべし、(二)技術移転によるキャパシティー・ビルディングと開発援助は持続可能な開発達成のために必要、ということであった。
他方、環境面における進展としては、環境リスクに対して科学的根拠なしでの政策対応を許容する所謂「precautionary principle」 についても「アジェンダ21」に盛り込まれることになった。これは1994年のマラケシュ閣僚会議にて終了したGATTウルグアイ・ラウンドの最終合意の一部であるWTO−SPS 協定(衛生植物検疫措置に関する協定)に盛り込まれている。マラケシュにおいては、SPS協定とともにTBT協定(貿易に関する技術的障害に関する協定)が締結され、国内基準を含む国内基準と貿易の障壁としての問題を制度的に解決しようとする国際的な試みが、それなりの成果物を生むことにはなった。特に SPSでは、最低基準としての国際基準(WHOやFAOといった国際専門機関が定めるもの)の設置、科学的根拠に基づけばそれ以上国内基準設定も認める、最低限の輸入制限効果の政策手段であれば、「precautionary principle」に基づく手段も認めるとしている。
より近時の動きとしては、昨年11月のWTOドーハ閣僚会議におけるドーハ閣僚宣言において、環境および開発両面における多国間貿易システムのより強い取り組みが唱われ、2004年以内に取りまとめられる予定のWTO新ラウンドにおいて、貿易措置を含む多国間環境協定(MEAs)とWTOとの関係についての調整作業が行われる予定であり、その枠組みで途上国の技術支援の必要性が議論される予定となっている。また、途上国の輸出振興につながる農産物の自由化交渉も、サービスと並んで新ラウンドの最大の注目である。このようなポジティブな展開が起きている中であるが、同時に、本年6月の第3回WSSD準備会合(バリ)においては、貿易を含む国際経済関係、経済協力の項目において交渉が座礁に乗り上げ、南北間におけるimpasse(行き詰まり)の構造は相変わらず健在である。
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3.ポジティブ・アジェンダと開発協力の役割
(1)環境は本当に北だけのアジェンダ?南北二分構造のマインドセットからの脱却の必要性
これまでの議論の経緯もあり、貿易と環境の問題については、今日においてもとかく先進国の立場から議論されがちである。しかし、環境と開発の問題はone or the otherの問題ではなく、相互補完的に捉えられなければならない問題であることは、正に持続可能な開発の核心に存在する主張である。貿易と環境の問題が、如何に途上国の状況においても充分な検討を施す必要があるかについては、持続可能な開発と世界経済の統合とを両立させていくという意味で自明であり、ドナー国としてもその上で必要な開発援助を検討するべきであることは正論である。ということで、先ずは、これまで「北のアジェンダ」と考えられてきた貿易と環境の各主要論点について、如何に「南の問題」たり得るかについて簡単に検証したい。
先ずは、国内環境政策が国内産業の国際的競争力を弱めるか否かについて。これまでの実証研究は、殆んどが先進国のデータに基づくものであるが、一般的な結論としてはは、環境政策を強化することにより国内産業の国際競争力が落ちるといった懸念は、余り実質的なものではないということである。実際には、環境規制遵守のコストは、他の生産コスト(資本、労働、中間財)に比べると小さい(全体の1 %程度)であり、環境規制遵守コストが5 %を超える汚染集約型産業、所謂「dirty industry」(化学、石油精製、金属、鉄鋼、紙・パルプ等)も、先進国による生産・輸出が圧倒的である。しかし、途上国の場合は意味が異なる。第一に、途上国の代表的な輸出品目は天然資源(鉱産物など)であり、政府の補助金などにより既に価格に歪みがある。つまり適正な環境政策・資源政策としては、汚染による社会コストの内部化に加え、補助金の除去を加えれば、つまり企業側の環境規則の遵守コストは短期的には倍増する。第二に、途上国では汚染処理技術の入手コストが高いとのことがある。特に、輸出産業の中で中小企業が占める割合いが高く、その意味で環境規制を遵守する上でのコスト吸収につながる「規模の経済」の効力が限られることになるので、コスト増の影響は何のオブラート無しで企業を襲うことになる。
貿易の自由化が、生産活動、消費活動を拡大させるという意味で、環境破壊を悪化させるかどうかについては、簡単には統計データに基づいて一般化できるものではない。結局、これまで国やセクターを限った実証分析のレベル、あるいは逸話のレベルでしか分析はなされていない。また、途上国の場合は労働集約的な産業が比較優位をもっていると考えられ、労働集約型の産業の汚染集約率は一般的に低いことから、輸入代替型工業化政策よりも貿易自由化政策の方がむしろ環境破壊には結びつきにくいという理解もできないわけではない。また、経済の対外的開放主義をとることにより、海外直接投資などにより先進国より環境適性技術の技術移転を受けやすいということもあり、世界銀行のエコノミストがいくつか調査結果を発表している。
他方、汚染集約性の高い産業について日本は輸入/輸出の比率が上がり、他アジア諸国の比率下がっている傾向を見れば、途上国への汚染集約型の産業移転が読めないわけでない。貿易自由化を直接的要因として拡大する産業が、必ずしも環境破壊型の産業でないとしても、その成長支える周辺産業(特に資材を現地で提供する小規模産業)より環境問題が生じないとは限らない。例えば、メキシコのマキラドーラにはNAFTA前から米国向けの輸出産業が米国他からの投資で成長し、環境パフォーマンスも良い水準にあると言われたりもするが、そのようなマキラドーラの成長にともなって増殖した周辺産業などは、極めて環境破壊的な生産技術を使っていたりする(例、古いタイヤを焼却しての火力を使う煉瓦製造業等)。また、東南アジア諸国においては、輸出振興の対象である産業について、コスト減、生産増加のプレッシャーから、先進国においては既に環境基準を満たさないような中古の機械を安価で調達し、生産に使っているという逸話は多い。
この話に関連してであるが、廃棄物・危険物等、先進国国内では禁じられている物品が、消費財あるいは中間財として、国内環境基準が先進国に比べて緩やかである途上国に輸出され、このような途上国がpollution havenとなるケースもある。例えば、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)の報告によれば、ベトナムにおいては、場合によっては密輸の方法で、環境・保健衛生に有害な農耕用の化学製品、薬品、食品添加物が輸入されているといったことや、また、タイでは、モントリオール議定書により先進国における使用が禁じられているODS(オゾン層破壊物質)が輸出されてきており、タイが使用禁止前のフェーズアウト期間であることを利用して、タイの輸出産業である電子部品(IC)や家電の製造に用いられていたりした(実際にモントリオール議定書発効後、タイのODS輸入量は3倍になった)、との報告がされている。 危険物、有毒物の輸出入については、現在ではバーゼル条約、事前通報の原則(PIC) といった国際法規が確立してきてはいるが、途上国にはまだまだ危険性の科学的な予測と試験、輸入元からの通報の適格な処理・判断をするうえでの人的資源、施設は不充分といった履行上の障害があることは否めない。
貿易と環境の関連で、常に途上国からのコマとして扱われるのが、先進国の環境基準と市場アクセスの問題である。先進国において強化・複雑化されている国内環境基準(製品基準、製造基準)は、国内製品と同じく輸入品にも適応されるわけであるし、GATT第3条下、非公正に輸入品と国産品を差別できないわけであるが、生産された場所の環境・制度が異なることから、原則論として無差別であっても、実際の適用段階において輸入品が国産品以上の厳しさで基準審査が行われることは否めない。特に途上国輸出企業にとってこれが脅威であるのは事実であり、例えば米国連邦食品薬品局(FDA)の統計によると、食品・薬品の輸入に際して米国の環境安全基準に満たさず差し押えになる輸入品の4分の3は途上国からの輸入品である。食品安全基準について、多くの途上国としては、先ずは国際機関が定める最低国際基準を満たす必要があるわけであるが、先進国としては裁定国際基準以上の基準を設けることについては、前述のWTO−SPS協定により認められている。世界銀行エコノミストの定量分析によると、EUの環境製品基準がアフリカの輸出産業に与えるコストとして、食品かかわる新しい衛生基準(aflatoxin)は、輸入国EUにおいて1年につき10億人に1.4名分の死亡率を下げるの効果があるのに対し、輸出国アフリカにとっては、最低国際基準を満たした場合に比べても、64 %(6億7千万ドル)の関連製品の輸出減となると分析されている。また、国内産業へのインパクトという意味では、産業構造への影響も大きい。例えば、欧州諸国のPCP禁止により、それを革染めに使っていたインドの革産業が輸出維持困難な状況に置かれたことがあるが、インド政府の積極的な産業支援により、収益の3 %ほどの基準遵守コストをリカバーできた大企業が輸出企業として生存し、同じ産業内で、最新の産業技術を用い、生産性・収益率の高い輸出型の大企業サブセクターと、前時代的技術、低い生産性により販売先が国内に限られた中小企業セブセクターの二分化が顕著になったとされる。
なお、環境基準に準ずるものとして、所謂「エコ・ラベル」(使用原料から製造工程、包装、運送、廃棄・リサイクル方法までの製品のライフサイクル全体の持続可能性を保証するラベル、先進国各国が個別の私的なラベルをもっている)や環境管理基準であるISO14000シリーズの認証なども、市場アクセスを難しくするものとして認識されており、WTOの貿易と環境に関する委員会(Committee on Trade and Environment)において主要議題に挙げられている。これらは、特に中小企業にとり、生産単位あたり大きなコストを負担させる要因になるとして、国内環境基準の問題と同類の問題がある。しかし同時に、適正な生産技術を導入するなどしてこれらの基準をクリアしたり、またエコ・ラベルやISO14000の認証を受けることになれば、それはそれで大きなマーケティング手段となるのも事実である。特に環境優良製品(environmentally preferable products)の世界市場へのマーケティング戦略と絡めると効果的であろう。例えば、包装基準のために麻などの天然素材をつかった包装、または有機農業による農産物などの環境優良製品については、途上国が優位性を築きうる物品でもあり、むしろエコラベルを逆利用することにより戦略的に市場開発していくことが可能になるのではないかと考える。
国際場裡における本件の議論において、市場アクセスの問題とともに途上国側のコマにされるのが、環境適性技術(environmentally sound technologies: ESTs)の移転促進の問題である。 これについてはわざわざ強調することもないほど、その重要性については皆一致して認めるところであるが、それでも世界貿易の促進に必要な条件として考えられている知的所有権保護(例えばWTOのTRIPs協定)とのバランスが問題となる等、制度上の部分において課題が無いわけではない。また、後程詳しく述べることになるが、途上国経済の全体的なキャパシティー向上との関連でESTsの移転促進が図られる必要があろう。
以上、静止画的観察ではあり、かつ問題点の大ざっぱな列挙ではあったが、所謂「北のアジェンダ」として捉えられている貿易と環境の接点に関わる各問題について、如何に途上国自身にとってのアジェンダであるのかについて説明を試みたわけである。途上国の持続可能な開発を目指す上で、貿易と環境の問題は途上国自身の文脈から分析され、適切な政策に移されるべきである。次に貿易と持続可能な開発との連関性をもってして、如何なる開発協力策が重要なのかということにつき述べたい。
(2)開発協力の役割
国際開発協力を行う上で、途上国の世界経済へのスムーズな統合を支援するという意味での経済協力としての側面は、常に強調されて然るべきと考える。技術革新といった質的側面の成長、貿易量・投資量・情報量といった量的側面の成長の双方において、年々早いスピードで世界経済が発展しているわけであり、それにより世界経済の先導者と後続者の格差の広がり、あわせて後続者間での経済成長の度合いや国内の政治・社会的状況についての多様性を増す。これらの現象を意識しての経済協力に重きが置かれることとなろう。そういった意味では、途上国の世界経済への統合は多くの面でチャレンジングであるわけであり、自由貿易体制が無条件に途上国各国の経済成長に直接資することになるとは言い切れないとしても、同時に貿易が成長の推進力たるものであることも紛れもない事実である。開発協力の役割としては、如何にその世界経済への統合に際する障害を除去し、参加に必要な能力上の制約が緩まるように支援するかに見い出される。特に、貿易を通じた世界経済への参加と国内環境の充分な配慮、地域・地球環境問題への適切な対応というように、途上国支援の中で貿易と環境をトータルで支援する、並行(in tandem)の形で支援することが重要ではないだろうか。貿易と環境の問題を開発のコンテキストで捉えることは、二重の意味での「市場の失敗」の問題に直面することであり、それに対する開発協力の役割ということを考えることになる。
先ず、先進国・途上国に限らず、環境問題は外部不経済の代表例として「市場の失敗」を意味するものである。既存の市場メカニズムに頼るのみであれば、環境破壊という社会コストを誰も負担せずに野放し状態になるわけであり、適切な環境政策という形態での市場への公的介入が正統化されるわけである。先進国も決して問題がないわけではないが、特に途上国における環境政策の強化の必要性・有効性は、一般論としては皆が認めるところであろう。そのような国内の「市場の失敗」について、ある理由により適切な環境政策が国内で実施されない状況にある場合、例えば貿易相手国が関税をかける等の貿易政策を使って同じ環境政策目的を達成し得るという所謂セカンド・ベストの理論もあるが、セカンド・ベストは追加的に政策介入による市場の歪みを導くことにもなる。開発協力としては、環境政策の整備(ファースト・ベスト)を直接支援するべし。
ここまでの国内の「市場の失敗」とそれに対する処方箋としての環境政策の必要性は、いかにも教科書通りの内容であるが、もう一つの「市場の失敗」である国際あるいはグローバル・レベルにおける「市場の失敗」と公的介入手段としての開発協力の意義については、余り明示的に議論はされていないのではとの印象がある。つまり、製品が輸出入される限り、貿易を通じて「市場の失敗」が一気に国際的側面をもつことになるわけであり、社会コストの負担を分担する消費者と生産者が国境を隔てて存在する状態になる。その意味では、政府・公的機関による「市場の失敗」への介入(環境政策・持続可能な貿易政策)についても、各国の間で、途上国と先進国との間で調整・調和が必要になる。特に途上国と先進国との間の政策対応能力の差異を意識し、「調整不良」(coordination failure)を避けるべく国際協力が必要になるわけであり、ここにドナー国の開発支援の意義があろう。
この点については、現在の支配的な見方は、調整・調和のためには、貿易ルールの中に環境政策の調整の機能を盛り込もうとするもの、つまりは貿易ルールのグリーン化の議論がある。しかしこれは根本の問題の解決策になるかは議論の余地があろう。先進国の間ではOECDのPPP(Polluter Pay Principle)により、既に貿易ルール外で政策調整・調和のメカニズムが規範として存在している。しかし、環境法体系・行政能力に差異がある途上国も含めた上で、多国間貿易ルールにおいて環境基準を前提条件として据え、それを途上国に押し付けることは若干乱暴であるとの印象も感じざるを得ない。自転車にしか乗れない人に、高速道路での安全な車線変更の仕方を教えるようなものであり、自転車での高速道路の車線変更を教えるよりも、その人が自動車を運転できるようにキャパシティーを育成してあげるのが「調整不良」に対する先ずの解決策なのではないだろうか。先進国側の環境に対する需要を compromiseすることなく、途上国の持続可能な産業育成政策、貿易政策、輸出振興政策を支える、端的に言えば、良き経済パートナーを育てる、そしてそれにより自分も受益するというアプローチで、国際調整を図り、開発協力の形態で必要な支援を施すことが一義的な重要性をもつと考える。
(3)持続可能な貿易・開発戦略としてのキャパシティー・ビルディング(プレーヤーの基礎体力作り) と制度作り(競技場整備) の支援
貿易と環境の連関性においての開発支援の大きな目的は、貿易促進と環境保護促進の両立という「win-win」の図式を途上国の開発戦略の中にもたらすことではないであろうか。そのためにはプレーヤーの基礎体力作りとしてのキャパシティー・ビルディング、そして競技場整備としての制度作りが必要と考える。日本の開発援助活動を含め、既存の開発支援のプロジェクトでカバーされている範囲であろうから、特に新たな要素を加える必要はないのかも知れない。しかしながら、既存の要素を持続可能な貿易・開発への支援ということで有機的に連携づけ、できれば一体化させ、プログラム化させることにより、それぞれの要素からのシナジーを有効に活用することが出来るのではないだろうか。
環境政策、貿易政策の両輪をつなぎ止める軸の強靭さは、まさに政府、民間、市民社会の幅広い層におけるキャパシティー・ビルディングであることは論を俟たない。キャパシティー・ビルディングについては、既に開発の様々な側面から強調されていることであるから、新たに言及するまでもないかもしれない。特に持続可能な開発における民間のキャパシティー向上については、民間セクター開発と重なり合う部分が多く、既に開発支援として実践に移されていることでもある。しかし、それでも敢えて述べさせて頂くとすれば、(イ)輸出振興の支援、および(ロ)技術協力の二つの側面に触れさせて貰いたい。
先ずは(イ)輸出振興の支援であるが、これは、特に国内需要に規模的な制約がある途上国の場合には、経済成長のための環境コストを如何に生産工程で内部化できるかが問題であり、そのためには製造者側の輸出市場へのアクセスが鍵になるといった点から正統付けができる。つまり環境政策のコストと経済成長のためのリソースはトレード・オフの関係にはあるわけであるから、如何に開発資源を確保しつつ、環境政策のコストをリカバーするかは、如何に海外の消費者にコスト負担を分担して貰えるかにかかっているわけである。具体的には支援項目としては、輸出振興の中に環境面を統合させるということで、途上国国内において、輸出産業に対する顧問サービス(コンサルタンシー)
機能を設立・強化させ、その中として、先進国市場参入のための基準についての情報収集、生産工程での環境規制の遵守から、ISO14000や先進国市場での「エコ・ラベル」取得まで、生産と環境管理を並列させてアドバイスする機能を設ける、その他マーケティングの助言や企業間協力体制を例えば先進国企業と途上国企業の間で築くことを推奨し、環境技術の移転を図る、といったことが挙げられよう。次に(ロ)の技術協力についてであるが、環境適性技術(ESTs)の効果的な移転を図るためには、より一般的な技術面での変革に適切な対処をする能力を育成することが同時に行われる必要がある。その意味で、ハードウェアESTsに限られた移転では効果が低いわけであり、ソフトウェア面でのESTs技術協力を通じて、企業側が公的規制や消費者の性向の変化に迅速に対応できる能力を備えるよう、併せ支援する必要がある。また、産業内で企業間ネットワーク(連合体)をつくることにより、環境技術の共有をキャパシティー向上を図ったり、技術促進に対する需要・供給を活性化させるべく法制度、行政機構を整える等も考えられる。その中で中小企業対策の対処能力の向上に特に注意すべきであろう。
国内において貿易政策(輸出入促進、自由化)、そしてその背後にある産業育成政策と同時に環境政策を両立させようとする際、開発協力を通じて政府の包括的な持続可能な貿易戦略造りを支援することが重要である。包括的な持続可能な貿易戦略の具体的内容としては、例えば貿易自由化の国内環境インパクト評価の実施等があり得る。なお、「市場の失敗」に対する公的介入ということであっても、規制中心の環境政策ではなく、市場メカニズム(価格メカニズム)に則った環境政策の導入が、経済効率上に一般的に望ましいとされるが、貿易を通じた環境コストの国際分担といった観点からも、価格に反映される形の行政手段の選択が好ましい。産業も育っておらず国内市場も確立していないような国において、環境税の導入に非を唱える見方もあろうが、環境税は、外部不経済の内部化という点から、所得税や関税のように追加的な歪みを市場に加えるわけではないので、途上国における主要財源である関税、あるいは所得税に代わる政府財源として、二重のメリットがあるという意見(所謂「double dividend仮説」)もある。
なお、包括的な持続可能な貿易戦略を打ち立てることは、同時に政策手段の裾野を広げ、選択肢を増やすという効果もあろう。実はこれがWTOという制度を通じての世界経済への統合を図る上で、それなりの含みをもつ。つまりは、GATTに盛り込まれている国際貿易法の各原則と国内環境政策実施との間における最も潜在的な対立点としては、輸出品は国内品と国内政策上同様の扱いをうけるべしとする第
3条と、人間・動植物の健康・衛生保全に関わるもの、天然資源の保全に関わるものはその例外となりうるとする第20条とのバランスにある。これまでの環境関連の貿易紛争の多くはこの第3条対第20条とのバランスの中で裁定されてきているわけであるが、その際、第20条の適用条件は、その環境政策があらゆる政策手段の中で最低限の貿易制約効果のあるものであることが常に裁定の鍵となっている。途上国における政策手段の選択肢は先進国以上に限られている。そのような制約下においては、国内環境政策の実施が自由貿易の原則により妨げられる可能性が高いのではないであろうか。また、政府の対処能力向上といっても、広くはNGO、市民社会の政策プロセスへの参加も支援するといったガバナンスの問題をも含むものであるべきである。環境側からのチェック機能として市民社会の参加、住民の意識向上、環境教育の普及は効果的であることは、正に日本の経験からも明らかなことである。
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前セクションにおいては、キャパシティー・ビルディングを中心に、貿易と持続可能な開発の連携ということで、開発協力の意義を述べさせて頂いたわけだが、最後にドナー国としての日本にとって、そのODA戦略との関わり方について触れたい。普段、開発協力の実務に接しているわけではないので、不充分な調理でのアイディア提供ではあり、むしろ開発協力実務に関わっている皆さんへのオープンエンドな問いかけ、論点提示という意味もある。また、実際のところ特に新たなアイディアを提供している分けでもないと冷めて見られても仕方がない程、斬新さがあるわけではない。出来れば皆さんからの実務に基づく視点から遠慮なく叩いて頂きたい。
先ずは、グローバルな開発戦略として、この貿易と環境における開発支援は、日本のODA戦略において意義をもつものなのか、また一歩退いた形であるが、果たして日本として関心がある分野なのかということである。これについては、それなりの拠り所は「政府開発援助に関する中期政策」のうち重点項目3として記されている「人材育成・知的支援」のうちの知的支援に充分見い出せるものである(下記参照)。
―――
人材育成・知的支援(知的支援)市場経済移行国のみならず、経済の急速なグローバル化が進む中で経済発展を進めてきた開発途上国においては、そのような変化に経済・社会体制を適応させるためソフト面での支援の重要性が高まっている。我が国の経済発展の過程において蓄積されてきた経験やノウハウには開発途上国の発展に有効に活用しうるものがある。具体的には、法制度整備を含め各種制度・政策の形成のための支援などが重要であり、我が国の人材を活用した政策アドバイザー等の派遣を含めた取り組みが有効である。なお、こうしたソフト面での支援は、貿易投資分野での相互依存関係の高まりの中でWTOに基づく多角的貿易体制といった世界経済システムを支えるためにも重要となっている。
以上を踏まえ、我が国としては、次のような支援を行う。
―以下の分野等に関する法制度整備を含む政策・体制整備への支援を重視する。
―経済成長からの貧困層の稗益を促進するための制度構築等に関する知的支援を行う。
―政府部門のみならず、大学・シンクタンクを含め広く民間部門の人材の活用を図りつつ、政策アドバイザーの派遣等による支援を行う。
―――
ではその拠り所に従って、日本としては如何なるODA戦略をこの貿易と環境の問題について照らし合わせることができるのであろうか。ここで、一つ素案として提示したい点は、グローバルあるいはアフリカ中心からアプローチする欧州の関心に対して、日本としてはアジア地域からの入り込み、地域の具体的戦略構想に内包させるという可能性である。日本はむしろWTOにおける環境議論(貿易ルールのグリーン化)はロー・キー対応であるという印象を受けている。多国間貿易ルールの整備というよりは、むしろ開発協力という文脈で南北の問題としての貿易と環境の問題を捉え、ODAの戦略の一環として融合させることを優先し、途上国のより良きパートナー、特に将来の経済パートナーを育てるという目的において日本の独自性を活かすことがとができるのではないだろうか。その際、オールジャパンとして、ODA政策、通商政策(農産物他の輸入政策をも含む)、環境政策にまたがる部分において、日本政府内での長期的な視点に立った政策調整も課題となるであろう。
日本のODA戦略への意味合いを考える際に、経済パートナーを育てるというODAの意義に加え、現在支配的な開発援助レジームへの日本からの批判的参画の切口として考えることも可能ではないだろうか。無条件自由貿易主義への今日的な留保、ということで、貿易の自由化に対する包括的な評価として、社会基盤の安定の一部としての環境への影響を主流に据える重要性を説き、実際に日本の二国間援助で実践していく。また、One-size-fits-allないしshopping list的な貧困撲滅戦略の概念を、如何に具体化させるのか、その具体化の一例としても捉えることができるイッシューである。自然・地理条件により各国にとり適正な環境政策は、自然と異なってくるわけであり、その意味でテーラーメイド型のPRSPを提示することもできよう。ただし、アジアにおいてテーラーメイドを追求する際に、アジアの経験をアフリカに伝える可能性をも念頭におき、政策ツールの製品化というところまで細かくパッケージにすることはないとしても、モデル化ということで、ある程度加工・一般化した形で提示し、部分的であるにしろ転用可能性(duplicability)を追求することも考える必要があろう。
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2.日本のODA戦略として
(1) 日本との関わり方についてコメントしたい。この問題が日本にとって意義があるかという問いについては、意義はあると思う。先日、川口外務大臣がタウンミーティングで行われたODAに関するプレゼンテーションに、ODAの理由付けが3つによくまとめられている。1つに、世界において貧困に苛む人がいるから支援の手を差し伸べるべきということ。2点目はグローバルなイシューに対して、日本も適切な国際参加・協力をするという点。そして、最後に日本の良きパートナーを育てるということである。国際貿易体制、各国状況を良くすることにより日本もベネフィットを受けるという意見については、まさに第3点目の目的である。また、環境問題ということで、2番目のグローバルイシューについて先進国が対処しなければならないという意味で、日本の関わり方も重要である。
(2) これまでの日本の経協の打ち出し方は、貿易分野、環境分野(その他保健分野、IT分野等)ということで、一定額ないし基本方針を打ち出しつつ、その枠内に入るプロジェクトないしスキームを発表・実施する(そしてその成果を執行額・実施案件数でモニターする)という形に留まっている場合が多いと思う。しかし、この「分野方針とプロジェクト実施のつながり」をもう少し整理するとともに、持続的にフォローアップ・改善していけば、外交効果・開発効果とも更に向上するのではないだろうか。
7月31日のPRSP関連BBLで議論が深められた通り、開発の現場からすれば国別の体制と方針を拡充することが前提条件であろう。しかし、その上で、貿易分野、環境分野等で日本がどのようなアプローチで臨むのかの理論武装と現場の経験・知見を有機的にリンクさせることが重要と考える。日本は貿易分野ではベトナム等個別国に関する知的な蓄積や現場での経験があり、また環境についても随分経協実績があると承知している。WTOの貿易と環境やキャパビルを巡る議論のような場で、そのような個別国についての経験・知見をバックにした議論を展開できれば、日本としての貢献も増し存在感も一層高まるであろう。他方で、そのような精緻な思考整理のもとで現場のドナー調整やプロジェクトの案件発掘・実施を行えば、前例踏襲や惰性に流れないメリハリの利いた形で援助を実施し、またメッセージも強力に発信できると思う。
このような、分野方針とプロジェクト実施の有機的なつながりを確保するためには、まずは分野方針の理論を精緻に組み立てる(理論武装する)とともに、経協の現場やプロジェクトの担当者との対話を始めることが大事だと思う。今回のBBLプレゼンテーションにおいて、貿易と環境を結びつける形で、最新の議論をもとに思考枠組みが提示されたわけで、これを単発で終わらせることなく、この種を大きく広げるために、今後持続的に議論を深め、実際の経協実施や、更にWTO等の議論にまでインパクトを与えられるようになればよいと思う。
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3.途上国の環境政策への支援
(1) 環境は果たして外部経済であるのかという点について、公然にチャレンジしてみてはどうだろうか。公的介入のサステイナビリティという点で考えると、外部経済としての問題が極小化すれば公的介入、それに対する外的援助が必要なくなるわけであり、そのようなメカニズムも考えてはどうだろうか。環境は外部経済という前提で議論するのは21世紀的ではない。
(2) どの程度途上国(特にアフリカ・LDCs)に外部不経済・公的介入でなく環境を製品化し市場化できるかは疑問である。短期的には政府介入は不可避である。しかし同時にDouble dividend hypothesisに則り、代替型の政府財源としての環境税を導入する等、リープフロッギングの可能性もあろうか。
(3) 環境問題と一口にいってもその内容は多様であることから、特に開発途上国との関係で議論する場合には、環境問題をその内容によって分ける必要があろう。一つは、古典的な公害であり、これには、大気汚染、鉱毒公害、食品公害などが含まれ、もっぱらその公害が発生したコミュニティーに直接被害が生じるもの。もう一つは、いわゆる地球環境問題で、地球温暖化、稀少動植物の保護などが含まれる。これらは、その名のとおり、環境破壊の被害者がその破壊が行われたコミュニティーとは関係なく広く世界中に遍在することになる。もっとも、この間に無数のバリエーションがありえようが(例えば、中国での大気汚染が拡大すると、日本での酸性雨問題のように一種の地球問題化する)、両者を混同して議論するといたずらにわかりにくくなると思う。
前者については、これに対応する環境政策を講ずることは各国政府の自国民に対する当然の義務であり、このような観点からの輸入規制が行われても、途上国側としてはある程度受け入れざるをえないものと思われる。もちろんこの義務はそれぞれの政府のそれぞれの国民に対する義務なので、先進国が途上国に対して人道上の観点などをふりかざして規制強化を迫ることは不適当だろうが、自国民を守る観点から、合理的な輸入規制を行うことはある意味で当然のことと思う。冒頭プレゼンテーションの「環境問題は国内的には社会安全保障政策である」というのはこのタイプの環境問題には妥当すると思う。後者については、ある意味では先進国のエゴであるともいえ、途上国側としては、本音では知ったことじゃないということであろう。一次産業を振興しようとしていると、横合いから「それは天然資源の乱獲であるから中止すべきだ」と先進国のNGOが言っても、途上国にとってみれば大きなお世話と感じても仕方がなかろう。
やや問題を単純化しすぎているきらいがあるが、開発での政策対応を考える際にもこの両者はある意味で質的に異なったものとして取り扱っていくことが適当ではないかと思う。つまり、前者のタイプの環境問題については、それを先進国として支援するかどうかはあくまで、「援助」の観点からどこまでやるかを政策的に判断すればいいだろうが、後者については、それが本当に大事と考えるなら、自国の問題として途上国に「やってもらう」というような観点が必要となるのではないだろうか。途上国であっても地球村の一員としての義務があるのだとの見方もあるだろうが、この分野は多分に各国の発展段階に応じたそれぞれの価値観によって政策対応が異なりうる分野なので、fairness の観点からも先進国側が援助を強化すべき分野であると考えられる。
これまでの日本の援助政策においても、このような認識の下に、いわゆる地球環境問題については、途上国側の自発的な政策対応が期待しにくい分野として、円借款の供与条件でも通常の案件に対して優遇するというようなことをしている。また、実際面では、環境案件は見方を変えれば省エネルギー案件でもあることが多いので、日本企業が得意な分野でもあるわけである。つまり、ある意味で顔の見える援助にもつながると考えられる。
環境分野への支援をどのようにすれば対外的に魅力的にできるかは、多分にレトリックの問題のような気がするが、ただ、国際的な流れは貧困削減に直接資するような分野への支援、具体的には教育、医療などをありがたがる傾向があるので、大々的に環境重視を打ち出していくということは、多少我が道を行くの観があるのはやむをえないことと思う。もう一つ言えば、途上国との関係で見ても、地球環境問題はその性格上、途上国の国民にとって切実な問題ではないことが多いので、それに対する支援がどれほど国民から真に喜ばれるかという問題もなくはないと思う。更に言えば、日本の国内的に見ても、環境問題がどれほどアピールするかという問題もあるのではないだろうか。確かに、大気汚染や水質汚染のような古典的な公害については、日本国民も実際に痛い目にあったのでその重要性は強く認識していると思うが、最近話題になるような環境問題は、勢い欧米のNGOが問題にするようなものが多く、幸か不幸か日本国内での関心は高くないのではないだろうか。
以上のような見方は多分に偏っているのかもしれないが、実際に援助政策を考える際には、純粋な政策目標に加えて、特にそれを魅力的なものとしたいのであれば、誰に対して何をアピールしたいのかを良く考慮する必要があろう。端的にいえば、地球環境分野での支援を大々的に掲げることは、ある意味では先進国としての義務を果たすようであり、そのため一見カッコ良く見えるが、肝心な所には実はあまりウケないのではないかとも思える。日本国民(企業を除く)、相手国民ともにあまり関心がないのが実態ではないだろうか。逆に古典的な公害防止技術の協力などはある程度相手国に喜ばれるようが(それでも他案件に比べてプライオリティーが低い可能性大)、それではプレゼンテーションにあった貿易とのコンテクストでは関係が薄くなるかもしれない。
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4.ビジネスの参加
(1) 対アジアの開発援助については、良きパートナーを育てるという観点からのアプローチであろうから、グローバルイシューというより、環境をどうビジネスに組み込めるかという点に着目するのが有益ではないであろうか。
(2) 民間を巻き込んでインセンティブを与えることは不可欠である。政府関係だけでは動かない。例えば技術移転の場合、炭素排出権の売買、銀行の環境プロダクツの売買に関するノウハウを、技術移転を通じて行うことは大事である。特に、途上国の環境汚染が進み先進国との格差が広がることに鑑み、重視すべき問題であろう。
(3) 環境、民間企業に対するインセンティブについて、IFCは先般「サステイナビリティがいかにビジネス機会につながるか」というテーマで、実際のビジネスケースを世界中から集め分析した"Developing Value"というレポートを出した(詳細はhttp://www.sustainability.com/developing-value/contents.asp参照のこと)。環境や地域貢献といったサステイナビリティへの配慮が先進国企業にとってはレピュテーショナル・ゲインやブランドイメージの向上という点でビジネス上プラスに働くといった分析はよく報告されるが、本レポートでは途上国の中小企業にとってもサステイナビリティへの配慮が販売拡大やコスト削減につながっている事例を紹介しており、環境とビジネス・インセンティブをどう結びつけるかという観点から大変興味深いレポートである。
(4) 環境対策を支援する側においては、環境問題を含めたサステイナビリティの分析・評価に十分な時間とリソースを割り当てることができ、その努力・成果がきちっと評価される組織内のシステムを構築することが重要である。例えばプロジェクトへの融資にあたり、環境関連の審査をもっとしっかりやるべきだと考えるが、経済性の評価にかける時間・リソースとのトレードオフ関係の中で、後者のほうが上司に説明する際の受けもよく給与にも反映されやすいので、どうしても環境審査をないがしろにしてしまいがち、とのLoan Officerの弁をよく耳にする。
(5) 環境ビジネス振興など、民間セクターに対する支援が重要である点については同意する。しかし、JBIC、IFC等はファンドを通じ、民間企業に直接エクイティを出せるが、世銀・IDBなどソブリン・ローンの難しさとして、民間が環境基準を守っていない場合には、それを是正するためにどのようにプログラムをデザインするかというミクロの観点からの問題がある。規模の経済によるベネフィットもあろうが、マルチの機関として大きな企業を直接支援することはできないので、インセンティブをどう形成し、具体的にどのような資金メカニズムにするのかよく考えなくてはいけない。
(6) 確かにアジア地域における経済協力(良きパートナーを育てる)ということを考える際に、特に国際貿易(および投資)を考える際に民間を巻き込むことは不可欠である。例えば、国際環境管理基準であるISO14000シリーズについては、製造工程の国際アウトソーシングが進む中、大手製造者がアウトソーシング先(ないし部品の調達先)を選択する際に、ISO14000の認定を条件にすることにより、ビジネス・インセンティブを利用した環境基準の国際的拡散(diffusion)が可能になる。似たような関係は、製造と小売との間でも存在する(例: Home Depot とsustainable forestry ラベル付きの角材販売)。しかし、果たしてそれがどの程度途上国側のビジネスを巻き込むことになるのかについては、結局途上国の民間の足腰の強さ次第であろうか。その際、途上国の産業の寡占化を生まざるを得ない側面もある(例: インドの革産業)。技術移転についても然りである。先進国のいわゆるグリーン産業は相当の大きさ(あるOECD報告書によれば、米国のグリーン・セクターは年間GDPの1%)であり、特にコンサルタント系企業の伸びを反映して、WTOのサービス交渉でも、貿易・環境のwin-winの一例としてグリーン・サービスの自由化については欧米は高い関心をもっている。しかし、ビジネス・インセンティブは貿易開発の原動力であるが、途上国の持続可能な開発ニーズに即したインセンティブの働き方をするためには、政策を通じた適切な公的支援が肝要と考える。
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5.貿易とキャパシティー・ビルディング
(1) 貿易・環境・開発の連携を追求する上でのアジアの戦略構想に言及されているが、ドーハWTO会合では、3か国が貿易促進のための技術協力のモデルケースとして取り上げられていた。アジアからはカンボジアが紹介されていたが、カンボディアはまさに輸出体制を整えることに成功しつつある。その中にはJICA技術協力が絡んでいるのも事実としてある。アジアといった場合、今更新たな日本の援助を行うという話より、まさにカンボディアのような国が輸出をどれだけ伸ばせるのかを示すのが、WTOとの関連からも重要なのではないだろうか。
(2) 貿易と開発については、WTO交渉で途上国に前向きに対応してもらうことを確保するための対価として貿易キャパビル支援を行っているという色彩が強く、貿易を通じての途上国の開発実現は必ずしも十分に配慮されていないのではないか。
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6.自由貿易主義に対する留保・経済成長主義に対する留保
(1) 無条件自由貿易主義の今日的留保に関してであるが、幼稚産業論についてほとんどの経済学者が肯定し始めている。市場の失敗がある限りにおいて幼稚産業保護も許容されるとする論理である。環境問題にしても幼稚産業保護にしても、これが議論される状況においては、ほぼ例外なく適切な資源配分が行われないという市場(特に資本市場)の失敗があるので、市場の外から支援する必要があるというように理論付けするのがよい。その上で、途上国が幼稚産業なり環境保護なり初期段階で保護することが有効であるものについて、そこを支援することには意義があろう。
(2) シアトルWTOで環境団体、労働団体は反グローバリゼーションで盛り上がったが、その活動家達は理論的に武装している訳ではなかった。しかし、その後、環境経済学ではWTO中心の自由貿易促進にも異議を唱え、反グローバリゼーションに対してバックボーン的な理論を与えていると聞く。その論拠を例示すると以下のとおり。
(イ) 経済成長には地球環境の観点から限界があること。全世界の総生産が5倍、10倍と膨れ上がった際に、地球環境はそれを維持できないという問題がある。技術開発が進めば解決されるというのが回答かもしれないが、技術開発は不確実性があり、成功するのかについての保証はない。
(ロ) 貿易の利益を説明する理論である比較生産費理論の前提条件は、資本・労働が移動しないことだが、資本も労働も移動しはじめており、同条件の下では絶対優位を有する国のみに利益が生ずると考えられる。貿易促進派からの比較生産費理論の再構築ができていない。
(ハ)古典派経済学が指摘する自由経済の弊害である世界企業の独占・寡占の問題については、自動車、航空機等で現実化している。伝統的経済理論に照らしても非効率であり、自由貿易促進の弊害と矛盾が生じていること。
(3) 無条件自由貿易主義という認識は、これまでのフォーラムの議論の中で言及はされたことはあるが、実際には現時点のワシントンには存在しないはずである。また、リカード流の古いモデルに依拠するのではなく、実際の国際資本移動の過程で起きる問題を考えなければいけないのではないだろうか。
(4) 資本が移動することにより産業は移転するわけだが、そのプラントの海外移転により先進国の高い環境基準・技術も国際的に拡散するというポジティブな面もある。世界企業の寡占化について、幼稚産業の育成と同様、規模が大きくないと環境コストはリカバーできず、大きくないと解決できない環境問題もある。特に途上国のように中小企業が中心となって輸出産業を構成している場合、環境コストをリカバーするだけの大きさを持っていないことが問題でもある。成長の限界の問題については、イノベーションを制度的に支援することにより確率の壁を何とか最低限に押えられよう。
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7. 需要と供給の両サイド
(1) 途上国の経済が貿易との関係でどうなっているかといえば、先進国は経済規模が大きいので輸出の占める比重は小さいのに対し、途上国の場合は貿易の比重が極めて大きいわけである。途上国の現実の姿は先進国以上に輸出入に依存しており、それも特に伝統的産品に特化した形となっている。そこが、例えば先進国側の環境基準によって輸出できる、できないに関わってきており、その経済に与えるインパクトも大きいわけである。他方、先進国側の環境基準は、先進国国内で消費者も巻き込んでの様々な議論を踏まえて定められてきている。日本の遺伝子組み替え食品の開発、消費等に関しての公聴会が開かれた際の複数の専門家の意見の意見を踏まえて参加者が作ったレポートの中で、「消費者にとって安全と安心は違う」という点が印象深い指摘が出された。これを輸出側(途上国)としてどう考えていくかが問題である。消費者を無視して輸出はあり得ない。議論としては、消費者を含む広範囲の人のインプットを受けないと身内だけで盛り上がってしまう危険性があろう
(2) 実際に開発途上国が直面している問題と日本が直面している問題のバランスが重要である。先進国のスタンダードを押しつけるのは障壁を生み、南北問題を複雑化している。日本の問題として、食品の安全性など目に見える問題もあるが、中国の大気汚染など見えにくい問題もある。前者の場合は、いくら途上国でのコストが上がっても、環境コストを価格に上乗せし、先進国の消費者が負担すれば解決できる。他方、大気汚染や水質汚染は先進国側が自分たちの問題として財政負担をかけることに意味があるのかは疑問である。例えば、メキシコの大気汚染問題を解決させるために、排出権をオークションにより分配した上で市場取引させるという方法がとられている。日本国内の大気汚染に対する環境基準を押しつけて、それに関わる日本からのビジネス機会を創出することができよう。
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8. 対WTO戦略
(1) 貿易ルールのグリーン化については、GATTルールを厳しくしても途上国を苦しめるだけで、インセンティブを与えて環境に好影響をあたえるという点からすれば逆効果とも考えられる。日本は、環境に良い製品ということではアドバンテージがあるので、いかにビジネスにつなげていけるか、環境に良い製品が利益になるようなインセンティブ構造をどう作るか、という観点からアジアに取り組めば良い。
(2) WTOルールの遵守というより、途上国の市場経済への統合を支援するという観点から、日本が総合的に支援策を打ち出すというアプローチが適当ではないか。
(3) WTOにおける貿易と環境の問題において、日本のローキー対応は打破すべし。
(4) WTOの貿易ルールについて、ルールのグリーン化については真剣に取り組む必要があると考える。世銀・IMFに続いて、ようやくWTOが設立され、強制力を持った貿易機関ができたということで、途上国も力をつけるという理想主義が現実化した。これが北の考えを強制するという考えが出来るとしても、上から押しつけないと途上国が動かないという現実も無視できない。先日ワシントンポストに中近東地域の地下水の推移が毎年2メートル下がっているとの報道があったが、世銀時代に水の少ない地域を担当していた時、水に対する危機感は少ないと感じていた。イエメンの政府には意識がないし、ガザ、アフガニスタンもそうである。水はどこかから出るという意識である。金がかかる場合には援助をもらえばよい。このような点を考えれば、上から押しつけるのも必要ではないだろうか。実際の強制の例を取ってみると、交渉して、時間をかせいで先進国との摺り合わせをやっていける。グリーン化のルールを確立するのは大事である。ただちに強制力が発動されて途上国に悪影響を与えるわけではない。
(5) 第二次世界大戦の悲惨な経験からして、国際貿易の失敗は開戦の非常に大きな要素であったと感じる。WTOに対する批判はいくらでもできるが、何らかの制度を育てなければならない。GATTという不規則な形で動いてきたが、なんとかWTOとして集大成した。財政的には小規模であるが、これをなんとか育てる方向で考える必要がある。
(6) WTOというグローバルな枠組みへの、参加できる資格も厳しくなってきている。完全な世界を創出すると同時に、それに向けた自助努力を促すメカニズムが必要である。
(7) WTOでの日本の対応はどうでも良いわけではなく、EUもそれなりに支援活動を出してプログラム化している。日本はパッケージとして出していない。WTOでEUとともに声を挙げるよりは、開発という行動で示すのが日本にとって有益ではないであろうか。
(8) 世界経済への途上国の統合、それに対する国際社会の支援という観点から、WTOが司る多国間貿易ルールのグリーン化については、議論を重ねていく必要を感じる。グローバルな貿易制度・機構への参加条件を、オーソドックスなものに留め、あくまでも「公共財」としての貿易制度として、最低限の共通項にルールをセットすることにより、参加層の裾野を広げる、経済統合を促進すべきか。あるいは、第二次世界大戦以前の国際経済システムの制度としての破綻を思い起こし、システムとしての安定性・有効性を維持するために、多国間貿易制度の「クラブ財」としての側面を強調し、実際の経済を牛耳る貿易大国のニーズに弾力的に対応しうる制度作りを心掛けるべきか。この二つのアプローチの狭間に落ちる問題としては、環境問題については、労働基準、国内反トラスト制度等が列記されるが、特に環境については、地球環境といったもう一つの地球公共財との関連から、技術発展の国際差異を背景にした責任の国際分担の在り方という派生的問題をも引き起こすものでもあり、真剣に取り組んでいかなければならない問題である。
(9) 一つの「フォーミュラ」としては、多国間貿易制度に対するものとして、地域経済統合、二国間自由貿易協定といったFTAsの(戦略的)活用が考えられる。貿易大国(主として先進国)および小規模経済(主として途上国)のグルーピングにより、地域ないし二ヶ国間関係というクラブ的性格を利用することにより、それぞれのニーズ(経済開発、環境保全促進、人権擁護等)を反映しての経済パートナーシップ関係が築き得る可能性は、少なくともWTOに比べると高い(decentralized bargaining)。実際にNAFTAにおいては、WTO体制に先行する形で、環境協定、投資協定が付随されての貿易協定が結ばれている。将来の経済パートナーを育てるという開発協力の一文脈には、有機的に結び付けられまいか?他方、日本国内にファンが多いバグワティ・コロンビア大教授が称するところの「スパゲッティ・ボウル的に複雑に入り組んだ二国間協定」が、WTO体制を形骸化してしまう危険性は考えなければならない。
< III. 参考文献 >
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