2003年4月9日BBL概要 |
ODA大綱はいかにあるべきか −DC開発フォーラムからの貢献 − |
4月9日、ワシントンDC開発 フォーラムBBL「ODA大綱はいかにあるべきか−DC開発フォーラムからの貢献 −」が約25名の出席を得て行われました。 冒頭に当方より、メーリングリストでの議論を踏まえつつ、日本の政策体系に おけるODA大綱の位置付け、普遍的価値と国益の関係、「基本理念」「原則」 として示すべき内容、重点地域・重点分野の扱い、ミレニアム開発目標(MDGs) の位置付け、政策立案・実施体制とその運用について、次の配布資料に沿って 問題提起を行いました。 http://www.developmentforum.org/records/material/0409oda.doc これを受けて、出席者間で活発な意見交換が行われました。主要な意見は次の 通りです。 (1) そもそも大綱という文書の性格や拘束性が明確ではないように思う。 大綱は誰の責任で作り、誰を拘束し、守られなかった場合にどのような制裁が あるのか。外務省、政府全体、立法府にどのような政策的意味合いがあるの か。まずなすべきことは、現在のODA大綱というアプローチが本当によかった のか、政策レベル・実施レベルでどのような成果と問題点があったのか、きち んとレビューすべきである。もし拘束力が十分になかったから結果が出なかっ たということであれば、形式自体を変えるべきではないか。 国際潮流が変わったので見直したいという気持ちは理解できるが、現在の作業 のやり方は、全てについてリセットボタンを押して全面的に最初から見直すと 言っているようである。現在のODA大綱の議論を見ると、理念と実施の二つの 部分に分けられる。理念について、何が良かったのか悪かったのかがはっきり せず、実施についても、10年間で達成できたものとできなかったものが評価さ れないと今後につながらない。なぜ日本が打ち出した新開発戦略が消えてし まったのか、MDGsは日本にとってどのような意味を持っていたのか、過去10年 間のレビューがないままに進んでいくとすれば問題である。 (2) 米国は、国家安全保障戦略の一項目として開発問題が取り上げられ、 そのもとで国務省・USAID、財務省など関係部局がそれぞれ実施している。 (その他、行政組織に従った行政評価体系もある。)英国は、現在は国際開発 省という組織の目標を作り、組織の評価を行うという形で進めていると承知し ている。日本の取り組みを考える場合に、米国や英国など他国の例を見れば、 日本として問題の構造を理解し検討する上で参考になると思う。(他国を真似 ればよいという意味ではない。) (3) 世銀に勤務し、日本を含む多くのドナーとともに教育関連の開発事業 を実施しているが、日本人である自分にとってすら日本のODAの考え方や仕組 みが見えにくく、コンプレックスを感じている。外務省、文部科学省、JICA、 JBIC等が関係しているが、各問題について中心となる組織・部局が異なり、必 ずしも相互によく噛み合っていないような印象を受けている。例えば万人のた めの教育・ファストトラックイニシアティブ(EFA−FTI)は外務省が主導して いるが、最近JICAに出来た教育のネットワークの議論を十分に反映しているの か。また、EFA-FTIの各途上国レベルでのレビュー作業は教育専門家でない大 使館員が担当している場合があると承知している。専門性を十分に活用し、効 率的・効果的にODAを実施していくためには、抜本的な組織改革が必要ではな いか。 (4) 仮に援助庁ができたとしても、トップに明確なビジョンがあるか、あ るいは世論・メディアがそのような明確なビジョンをどの程度支持するかとい う点こそが問題であり、組織いじりだけでは成功しない。私達として、まず確 実に効果が上げられることは、私達開発関係者が自らをエンパワーすることで ある。これは、組織を巡る議論如何に関わらず実行できる。 (5) 現在のODA大綱は、膨大な議論を経て集約されたものではあるが、10年 を経て、我々全く違った状況に直面している。日本のODAに何が起こっている のかを踏まえて検討すべきであり、その結果として、援助庁という話もあり得 る。 日本の援助は10年前より非常に難しい状況になっている。第一に、今後長期 に亘り、多額のODAを供与できる状況にない。第二に、昨今の経済状況を受け て、日本に対する尊敬が一般に低くなっている。日本政府から習うことがある のかといった議論である。第三に、この10年間に様々な新しいコンセプトが出 てきているが、このような世界の議論と日本国内の議論のギャップが大きく なっている。第四に、リスクマネジメントが重要になっており、融資するだけ で喜んでもらえる時代ではなくなってきている。これらの変化を踏まえ、日本 が援助をすることにより、最終的に尊敬され評価されるためにはどうすればよ いのか、考えなければならない。 (6) 国益の捉え方として、国民は自分の所得が伸びて幸せな生活をしたい と考えている面が大きい。従って、援助は総体として、企業の海外での活動増 進も含め、相互の経済発展につながっていくようにすることが重要である。中 国との関係も相互に依存する関係で伸びていく。このように、援助と経済活動 のリンケージがあるからこそ、(特にアジアにおいて)援助は有効に機能し、 また評価されてきた。 基本的には、ビジネスが成り立つのは双方とも儲け、共存共栄となっているか らである。これは、自らの国益のみならず相手の国益にもなっている。多国籍 企業の活動の場合など、双方の利益が均衡しない場合があり、ODAは再分配の 機能を果たしている。 そのような経済活動とのリンケージ、相互依存関係と切り離した形で、人道的 観点、紛争解決という観点から行う援助は別物であり、そのような援助をどう 考えるかについて、議論を深めることが大事である。 このような観点からアフリカを考えると、欧州にとっては資源供給地としても 市場としても、相互依存関係が深い重要なテリトリーであるが、日本にとって の位置付けはどうなのかを考える必要がある。 アフリカ諸国からは、お金は欲しいが日本のノウハウを使わないといけないの か?と質問される。日本のノウハウが不可欠と言ってくれる人はとても少な い。緊密な経済関係のないアフリカのような地域では、お金がなくなったら日 本は必要ないといわれるのではないか。 あえて普遍的価値ではなく国益を強調したのは、普遍的価値だけを信じ追求す る人がたくさんいるからである。なお、国際機関には、普遍的価値を掲げてい るようでいて、本当は個人利益を追求しているのかなと感じられる人も多い。 これは、国際機関のガバナンスに問題があるからではないかと思う。 (7) ODA大綱の中に国益を明示しようと主張する人が日本国内に多いのは、 そもそも政府が国益を十分追求していないのではないか、他国に遅れをとって いるのではないかというフラストレーションが国民の中に存在するからかもし れない。本来であれば、ODA大綱には普遍的利益のみを掲げ、狭義の国益は陰 で追求・確保するのが一番効果的なはずであるが、政府が狭義の国益をきちん と追求・確保していないという不満があるので、「国益」を標榜しろという議 論が出てくるように思う。従って、政府として、広義と狭義の層を含む国益を しっかりと考え、きちんと仕事をして、信頼を回復することが大事だと思う。 (8) ODA大綱見直しは、何年先を見越して見直そうとしているのかを明確に していくべきではないか。また、ODA大綱は誰のものなのか。援助を受ける国 に対するものか、それとも国内向けか。自分としては、双方に向けたものと考 えている。 (9) ODA大綱は、閣議決定文書であり、10年振りのものなので、今後5年く らいは有効なものを作りたいと考えているのではないか。ODA大綱の意味につ いては、対外的に英語で説明し、何万回も引用されるので対外的な効果がある ほか、国内的にも予算や定員に多大な影響を与え、各省庁にとっては死活問題 にもなり得る。NGO等にも影響が出る。多元性のある文書なので一義的には何 のためとはいえない。 (10) ODA大綱は、そもそも説明体系という形で捉えるのが良いと思う。ま た、ODA大綱やODA中期政策をいくらじっくりと読んでもその下での国別政策が 出てくるわけではない。個別の国別政策に最新の情報と知見を盛り込むことが まず第一の作業であり、それを大綱や中期政策と照らし合わせるのが次の作業 である。現時点では、この第一の作業が十分に行われていないことが問題であ る。 (11) 過去に大綱を作った時は国内で作ったのだと思うが、今回は、ODAを 受け入れる途上国の声はどこまで反映されるのか。日本側として良いものが出 来たと思っても、途上国のニーズとは違ったものを用意してしまう可能性があ る。 (12) 新大綱では、要請主義の見直しに言及されている。この大綱見直し プロセス自体にも途上国側の参加が必要なのではないか。 (13) ODA大綱見直しに際して途上国の意見を聞き始めると、意見に応えら れないところが出てくる。例えば、TICADについて途上国に意見を聞くと、重 点分野に何故債務削減を入れないかと強く言われる。むしろ、日本の側から、 このような国には援助し、このような国には援助しないということを、はっき り言っていないことの方が問題だと思う。 (14) 現状を言えば、ODA大綱見直しの基本方針は、政府として英語に訳し ていないと思う。基本的には、日本の政策として日本国内の意見を集約しよう という発想であり、また日本としてどうすれば途上国に役立つか、また広く対 外的にどう説明するかという点も当然考える。しかし、国外の意見を直接取り 込もうとすると、一部の途上国や他のドナーからのコメントの内容によって は、「日本の税金の使い方について、そんなことまで言われる筋合いはあるの か」という反応が日本国内から(政府内外とも)あり得るため、そこまでは踏 み込んでいないという感じがする。 ODA大綱は、自らを律する行動規範のようなものであり(外務省も川口大臣の もとで行動規範を策定している)、これ自体は、むしろ日本自身の信念と叡智 を盛り込むという発想でよいのではないか。途上国や他のドナーのコメントを 得ることが有益であるとすれば、それは分野別・国別の開発戦略といった具体 的インパクトに直接関連する文書の段階であり、日本としては、そのような文 書のたたき台を次々と作り、途上国や他のドナーのコメントを集約していくと いった作業を行うのが良いと思う。 (15) 援助モダリティのあり方については、もう少し真剣に議論すること が望ましい。例えば、有償資金協力(ローン)と無償資金協力(グラント)と いう概念に分かれているが、財政破綻国に対してローンを帳消しにするグラン トをどう位置づけるか、ローンもリスク・テーキングの方法が多様化しており 従来の低利長期融資が有効なのかなど、今日の状況に応じてモダリティの見直 しを行うべきである。 重点分野について、従来の日本のODAのイメージは「土木ODA」であるが、最近 10年間に成長してきた分野を考える必要がある。平和のために日本は何ができ るのかを考えると、結構難しいと思う。「平和構築」も、単なる修辞上の象徴 的なものではなく、具体的に考える必要がある。 重点地域については、アジアとアフリカといった大まかなわけ方だけではな く、例えばインドはどう位置付けられるのか、中国と一緒に考えてよいのかと いう問題もあり、アジアの中でも国により状況が違っている。具体的に考えて いくべきである。 (16) ODA大綱見直しに際しては、国民の参加がもっとあってしかるべきで ある。政府部内でODAがこうあるべきだということではなく、国民がODAに対し てどのような意義を認めているかという点から議論を始めなければいけない。 政府から対国民、対外国という発想ではなく、もっと国民からの意見形成の活 動を引き出すようになればよいと思う。従来から感じていることだが、現在の 「ODAへの理解と支持を得る方法」はあまりにトップダウンである。もっと市 民レベルからODAに対する意見を引き出す、吸い取るというメカニズムを、ODA 大綱見直しプロセスに盛り込んでいくべきである。 以上の諸点をはじめ、日本として取り組むべき課題や、議論を聞いての感想など、短いものでも結構ですのでinfo@developmentforum.orgまでご意見をいただければ幸いです。 |