世界週報12月31日号掲載
『国民過半数が貧困層に転落 =食糧自給可能なのに=
―アルゼンチンのスラム街潜入― 』


時事通信社 ワシントン支局
中野哲也  

 アルゼンチンは日本の7倍以上の国土を持ち、しかも大部分を大河ラプラタのもたらしたパンパ(大草原)が占める。肥沃な大地は牛や羊の牧畜に最も適し、小麦や大豆が大量生産される。本来は世界で数少ない食糧自給可能国なのに、昨年末に発生した経済危機で国民の過半数が貧困層に転落した。首都ブエノスアイレスのスラム街に潜入、危機の現場からリポートする。

◆スラムの「星の王子様」  
 「南米のパリ」―。ブエノスアイレスの別称は大げさではなかった。中心部は道路が碁盤目状に整備され、レストランや高級ブランド店が立ち並ぶ。夜はタンゴが鳴り響き、着飾った紳士淑女は眠ることを知らない。ところが、裏通りに入ると、そこには絶望が潜んでいた。  
 れんがやコンクリート造りの家はぼろぼろ。崩壊寸前のものも多いが、子供たちは笑顔で出入りする。陸の玄関であるレティーロ駅の近くに、「ビジャ」と呼ばれる巨大なスラム街は広がっていた。アルゼンチンの歴代政権はときに軍隊を投入しながら、取り壊そうとしてきた。  
 しかし、行き場のない住民は流血覚悟で政府に抵抗を続けるしかない。経済危機の深刻化とともに、世帯数は4000に達した。貧困から抜けだす展望は開けず、すきをついて銃や麻薬が大量流入する。エイズ患者は過去6年間に倍増した。スラム問題に詳しい国際協力事業団(JICA)アルゼンチン事務所の渡辺淳子さんを案内役に、ビジャで取材を始めた。すると、頼みもしないのにパトカーが現れ、護衛役を買って出てくれた。  
 「FM88.1」の看板を掲げる家の3階で、ファン・ロメロさん(38)はマイクを握り、早口でまくし立てていた。市内の米系超高級ホテルで警備員として勤務。5年前に宿泊客の落とした大金を発見するという“手柄”で、皮肉にも職を失った。地元メディアがニュースにとり上げ、ホテルがビジャ住民というロメロさんの素性を知ったからだ。ホテルは「住所詐称」を理由にロメロさんをクビにした。ただ、実質的には不当解雇という弱みがあり、4200ペソ(約15万円)の退職金を支払った。それを元手に、ロメロさんはビジャで初めてラジオ局を開いた。   
 「ドゥアルデ(現大統領)やメネム(元大統領)は2人ともトイレに流してしまいたい」―。 ロメロさんは朝6時から深夜0時まで毎日、ニュースを分かりやすく解説する。権力におもねることなく、容赦なく批判を浴びせる。このため“政敵”は数知れず、左腕の銃創が痛々しい。「ある政治家番組でとり上げたら、刺客がやって来たんだ」と涼しい顔で話す。来年の大統領選ではメネム氏の再出馬が予想されるが、同氏が当選した場合には「放送免許がないから、ラジオ局は閉鎖に追い込まれるだろう」と険しい表情に変わった。  
 ビジャ住民は愛情を込めて彼を「ハラハラ」と呼ぶ。ロメロさんの祖父はスペインのジプシー出身。そこの言葉で「星の王子様」を意味するという。「王子」の仕事を支えるのは、ビジャに住む9−20歳の少年少女。ロメロさんがラジオ局を運営するのは「子供たちが専門的能力を身に付け、新しい世界をつくってほしい」と願うからだ。「スラムから巣立った若者が今、4つのラジオ局で働いているんだ」と得意げに話す。  
 ロメロさんが命を懸ける放送活動の前に、「政治」の部厚い壁が立ちはだかる。ビジャは5つの居住区に分かれ、有力者が住民と政治家を仲介する。選挙のたびに、有力者は「チョリ・パン」という名のホットドック1個で住民を大量動員。政治への怒りも、空腹の前では無力化してしまう。  
 有力者の住居は周囲に比べ、不自然に立派だからすぐ分かる。外壁を鮮やかなグリーンで塗りたてた家を撮影しようとすると、「危険だ」というロメロさんに制止された。政治が絡むだけに、外国や国際機関がビジャを直接支援するのは難しい。JICAの渡辺さんは「非営利団体(NPO)を通じ、手を差し伸べられないだろうか」と思案する。

 ◆クラッカーに群がる子供たち  
 ブエノスアイレス中心部から北に30キロ車で走り、郊外のスラム街を訪れた。午後5時ちょうど、共同食堂に290人の子供がおやつを求めて集まってきた。裸や裸足が少なくない。  
 警察さえ入れなかった地区に食堂を整備したのは、マリーナ・ピッツさん(39)やマグダレード・ルエダさん(42)ら主婦のボランティアだ。彼女たちは警備員と囲い付きの「カントリー」と呼ばれる高級住宅街に住む。ピッツさんは「子供たちを何とか助けられないかと思い立ち、囲いを飛び出した」と話す。自分の子供が下校する夕方まで、スラム街で汗を流す毎日だ。  
 取材時の献立はクラッカーと牛乳だけ。NPOの援助が頼りだが、畜産大国なのに肉を出せるのは週に2、3回という。ピッツさんは「おやつと呼ぶけど、事実上の夕食よ。この子たちが帰宅しても食べ物はないから」と説明する。  
 ルエダさんは「自力で生活できるようになってほしい。この子を見てよ」とあどけない顔の少女を紹介した。20歳になる彼女は妊娠中。この若さで4人目だという。だからボランティアは空腹を満たすだけではなく、教育に力を入れ始めた。食堂内に図書室を設け、裏には小さなトマト畑をつくった。ピッツさんは「政治家は選挙のときだけ来て、あれもこれもつくると言うけど…」とため息をつき、学校建設予定地という荒れ果てた土地を指差した。  
 1989年に誕生したメネム政権はインフレを沈静化したものの、汚職腐敗や財政赤字を補う国債乱発などで国際的に信用を失墜。99年に政権奪取したデラルア大統領は増税で財政再建を目指したが、個人消費が極度に後退してしまい、結果的に税収が伸びない悪循環に陥った。消費者物価上昇率はマイナス基調となり、デフレが加速した。  
 国際通貨基金(IMF)はデラルア政権の経済政策や統治能力に疑念を深め、2001年末に新規融資を凍結。アルゼンチンは経済危機に突入した。02年1月に就任したドゥアルデ現大統領は国際金融界から見放されるのを覚悟で、1300億ドル(約16兆円)を超える対外公的債務のモラトリアム(返済停止)を宣言した。  
 アルゼンチンは自国通貨ペソをドルに連動させるペッグ制(1ドル=1ペソ)を採用していたが、もはや維持できなくなり、今年2月に変動相場制に移行。ペソは一気に1ドル=4ペソ近くにまで暴落した。外国からドル建てで買う商品は約4倍に急騰したわけだから、輸入品は庶民の手に届かない。GDP(国内総生産)実質成長率は記録的なマイナス11%に落ち込む見通しだ。  
 ドゥアルデ政権はペソ安進行を阻止するために預金引き出し制限を続け、これが個人消費を一段と冷え込ませた。60万台市場のはずの今年の新車販売は、「10万台前後まで激減する」(アルゼンチン・トヨタの勝田富雄社長)。  
 アルゼンチンの失業率は64年の統計開始以来、80年代末までは1ケタ台で安定していたが、今年は20%を突破した。しかも、職があっても満足な収入を得られない就業者が急増する。このため、最低限の食糧や水、電気などを確保できない「貧困人口」は今年8月に2000万人に。実に、国民の56%が貧困にあえぐ計算だ。

◆金持ちは通貨安を享受  
 その一方で、ブエノスアイレスでは毎晩、タンゴが鳴り響く。ラプラタ川のウォーターフロント地区にある高級レストランはほぼ満席だった。ウエイターが何種類もの串刺しステーキを持ってくるが、日本人にはとても食べきれない。一方、地元客は肉をワイン流し込むように次から次に平らげる。飽食の裏側で激増する貧困層。一体、何が起きているのか。  
 元アルゼンチン国立銀行理事のビルジリオ・テディン氏に疑問をぶつけると、「当局も正確には把握していないが、アルゼンチンの富裕層は国外に700億―1400億ドルもの預金を保有するからだ」と説明してくれた。第二次大戦後のアルゼンチンは軍政、民政移管を繰り返し、金持ちも貧困層同様に政治を信じてはいない。  
 このため手近なところでは、ラプラタ川対岸にあるウルグアイの首都モンテビデオに銀行口座を開き、資産を移す。もちろん欧米にもカネは流れ、「米フロリダ州マイアミの不動産取得はステータスシンボル」(在ブエノスアイレスの日系人)という。米不動産バブルにも一役買っているらしい。   こうした富裕層にとって、ペソ暴落は決して悪い話ではない。当局の目を盗み、国外のドル資産をアルゼンチンに持ち帰れば、1年前に比べて3倍以上の価値を持つからだ。もちろん、一般庶民のなせる業ではなく、経済危機は貧富の差の急拡大をもたらした。  
 ブエノスアイレスのど真ん中では、ルイス・アルベルトさん(52)がごみ袋をひっくり返していた。職にありつけず、3年前にカルトネーロ(ごみあさり人)を始めた。プラスチック類はカネにならず、紙ごみを必死に集める。ダンボール5キロで1ペソ(約35円)が相場だから、相当な重労働だ。以前は週200ペソ(約7000円)稼いだが、経済危機で“同業者”が急増したため、今は同70ペソ(約2500円)にしかならない。  
 夜8時ごろから、繁華街の至るところにカルトネーロが出没。親を手伝う子供の姿も目に付く。紙ごみを満載したリヤカーを引き、レティーロ駅に向かう者は電車で帰宅するらしい。駅員は「ちゃんとカネを払うけれど、一般乗客からは猛烈な苦情だよ」と肩をすくめる。  
 このため、座席をすべて取り外した「専用列車」が運行を始めた。富裕層は「アルゼンチンの恥部」と批判するが、彼らに別の仕事を見つけろと言うのは酷だ。別れ際、アルベルトさんは「泥棒するよりはましだろ」とつぶやいた。