第3回インタビュー!
『ラテンアメリカ地域の教育開発に携わって』
上岡 直子氏
米国NGO "World Learning" 教育プロジェクト・マネージャー
2003年6月4日


《略歴》コロンビア大学教育大学院卒。世界銀行、米州開発銀行にて、教育・社会開発分野のプロジェクトを担当した後、World LearningのワシントンDC開発事業部門であるWorld Learning for International Development において、教育のプロジェクト・マネージャーとして、主にUSAIDのラテンアメリカの教育プロジェクトを管理している。
著書:「ラテンアメリカ地域への教育協力」(「開発と教育―国際協力と子どもたちの未来」新評論、2001年)、「アメリカNGOの教育協力」(『内発的発展と教育』仮題、新評論、2003年)
執筆活動:「地球に乾杯!NGO」http://mywebpages.comcast.net/NGOcolumn/kamioka.htm


(本稿は発表者個人の見解であり、所属先、ワシントンDC開発フォーラムの立場を述べたものではない。)

1.上岡さんのお仕事について教えてください。
2.ラテンアメリカの現在の教育状況について教えてください。
3.特にグァテマラ、ペルーの現在の教育問題について教えてください。
4.ラテンアメリカ地域の教育開発に携わる際、大変だと感じることは何ですか。
5.今後のラテンアメリカの教育開発に、NGOとしてどのように関与していくべきとお考えですか。


1.上岡さんのお仕事について教えてください。

 米国のNGO- World Learningにて、教育のプロジェクト・マネージャーとして、グァテマラのマヤの先住民対象の2言語・多文化教育プロジェクトと、ペルーの児童労働プロジェクトを担当しています。2年半前に同組織に入った当初は、グァテマラの女子教育にも関わりました。プロジェクトの管理は、フィールドオフィスとつないでワシントンDCオフィスで行いますが、年に3、4回はフィールドへ赴き、モニタリング、年次計画作成、新しい教育プロジェクトの開発、プロジェクトに関連する特別なイベントや会議に参加したりします。

 World Learningは、70年前に設立されたNGO(本部はバーモント州)で、高校生を対象に海外短期学習プログラムから始まり、60年代に、Peace Corpsの隊員研修を請け負うようになりました。そして、その実践と理論を基に開発実務家の養成にあたる目的で、School for International Training(SIT)という大学院が設立されました。80年代には、私が現在働いている開発事業部門が、米国政府機関とのコーディネートの便宜上、ワシントンDCに開設され、主にUSAIDによる開発プロジェクトを実施しています。

 私自身、米国に来る前は東京のフルブライト委員会に勤務し教育交換を手掛け、その後途上国開発に移行しました。World Learningが、学生交流プログラムとして創設され、現在も組織が、人の交流、体験学習を基調に置いているのが自分のキャリア経緯と相似していることから関心を持ち、人材を募集していたときにとびついた次第です。実際私が仕事をしていく過程で、バーモント本部にある学生交流プログラムやSITと連携を図ることができるため、自分がプロジェクトに投入するリソースに厚みも出るし、自分自身学ぶことも多く、それはWorld Learningならではの楽しさかなと思います。

2.ラテンアメリカの現在の教育状況について教えてください。

 ラテンアメリカの教育状況ですが、途上国地域の中では比較的進んでいる方です。教育統計からすると、初等教育の普及が達成されており、中等教育の就学率は6割を超えるなど東アジア並みです。高等教育の就学率はむしろ東アジアより高いくらいです。

 しかし、ラテンアメリカは、他の途上国地域と比べて更に社会経済格差が著しく、それが教育状況にも反映しています。ラテンアメリカ地域は大変複雑な社会・文化構造を持っており、白人、メスティーソ等の中のエリート層は学費の高い私立学校に通う一方で、先住民、黒人や低所得層の子供たちの教育状況は一般的に劣悪です。普通の公立学校はエリート層が通う私立学校とは異なり、教員資格を持たない教師が多い、教材も限られている、という状況で、教育の質の悪さが目立ちます。また、ラテンアメリカでは中途退学率が高く、これは先住民の子供だと学校に通いはじめてもスペイン語がわからない、または特に男子は一家の働き手であるために学校を辞めざるを得ないなどが理由としてあげられます。

 ラテンアメリカ地域の教育に関するユニークな点が、ジェンダーの差があまり見られないということです。むしろ、特に初等教育に関しては、国に寄っては女子の就学率が高いということもあります。しかし、先住民の多い地域では、女子の教育程度が低いことが問題となっています。

 このように、ラテンアメリカは統計上からは教育状況はあまり悪くみえなくても、極端な社会経済格差を反映して教育も非常に不均衡であるため、平均値を見るのでなく、スポット・スポットに焦点をあてて、人種、階層、地域別にそれぞれ適切な教育開発に取り組んでいく必要性があります。

3.特にグァテマラ、ペルーの現在の教育問題について教えてください。  

 グアテマラは、ラテンアメリカの中でも先住民の割合が高い国の一つで、高地に先住民の人口が集中しています。国全体としては約6割が先住民と言われていますが、先住民の定義が多様なため統計によって若干異なります。現在私が担当している先住民向けの2言語教育プロジェクトは、USAIDの事業で、キチェ県という地域を対象にしています。キチェ県は、先住民の割合が8割以上で、30年以上続いた市民戦争の最も被害を受けた地域の1つです。グアテマラの社会状況は、一般的に貧富の差が激しいラテンアメリカ地域の中でも、階層による所得格差の最も高い国のトップ3に入ると言われています。これを反映して、教育も極端に不均衡で、特に先住民の就学率は非常に低く、3割程の子供達しか小学校4学年まで達しないという統計があります。特に1学年から2学年への進級率が5割という低さで、つまり半数が留年かドロップアウトしてしまう状況です。彼らは、家では先住民の言語―マヤ語を話しているため、学校で突然スペイン語で授業が行われると、それだけで脅威に感じてしまうのでしょう。また、教科内容も一般的に先住民の生活環境とかけ離れているため、マヤの子供たちや親達にはなじみにくく、子供たちが学校を離れていってしまう理由のひとつになっています。私の担当しているプロジェクトは、マヤの人口が集中している農村地域で、マヤとスペイン語の2言語教育を行い、マヤの文化や農村部の状況を配慮したカリキュラム・教材開発に取り組んでいます。つまり、子供たちが自分達自身の文化や地域の伝統文化・言語を修得し、同時にスペイン語やグァテマラの多文化社会の状況を学べることを目的として、活動しています。

 ペルーですが、グアテマラ程ではないにしても先住民の割合が多く、国内の社会経済格差も著しいと言われています。ただ、意外なのですが、ペルーではグアテマラ程、先住民自身が自分たちの言語や文化に誇りを持って、教育を促進しようという動きがあまり見られないような印象を受けます。一方グァテマラでは、80年代の半ば頃から先住民知識層の間でマヤ文化・言語の復興運動が湧き上がり、それが先住民教育の中核のエネルギーとなっています。先住民のマヤ言語や文化研究者も数少なくなく、グァテマラ教育文化省の高官も、文化大臣、教育副大臣を初めとして、先住民が起用されています。去年ペルーで開催されたラテンアメリカ地域の先住民教育会議に出席しましたが、ペルーでは先住民向けの教育がメスティーソの学者による研究対象として存在してはいるものの、国の教育プログラムとしての実践は限られており、教育相に新しく設けられた2言語教育局の局長も非先住民なのには、驚きました。グァテマラの場合は、2言語教育局は、局長を初め殆どが先住民で占められています。ペルーのケチュア、アイマラ族等の高度な文明、言語に関して聞き及んでいたものですから、先住民教育も盛んなのかと私が勝手にイメージしていましたが、アマゾン地域の先住民向けの教育活動は小規模ながら実施例があるものの、先住民自身による自分達の言語・文化に関する教育運動のうねりがあまりない様子に見えました。ペルーの先住民にとって先住民であることは恥辱であっても誇りという意識は少なく、自分達の言語や文化を学ぶよりも少しでも主流文化に近づきたいということなのかもしれません。(これはあくまで、先住民会議を通して私がペルーに関して得た印象で、実際は異なるかもしれませんが…。)

 ところで、先住民の教育の話ばかりしてしまいましたが、グァテマラもペルーも、全般的な教育状況に関しては、ラテンアメリカ全般に共通した問題を抱えています。一般の社会階層向け、特に低所得・貧困層、また僻地における、公教育の質の低さ、という問題です。公立学校の教師は給料も低く、グァテマラとペルー両国とも、今年の前半に、就労条件改善を要求する教員によるストが数週間続き、学校も閉鎖されました。私のプロジェクトもグァテマラとペルー両国とも、教員向けのトレーニングやクラスでの活動が一時停止になり、かなりの影響を受けてしまいました。教師の報酬が最低限である限り、良い資質の人材が集まりにくいのは当然です。また、今回の長期ストのように、教師の就労条件の悪さから、学校教育が危機に陥ることも少なくありません。プロジェクトでいくら教員のトレーニングや動機付けを図っても、教師に対する報酬があまりに低すぎるという根本的問題がある限り、どれだけ教員の能力強化を図り、公教育の質をあげられるのか、ジレンマを感じることも多いです。

4.ラテンアメリカ地域の教育開発に携わる際、大変だと感じることは何ですか。

 先程もお話したように、ラテンアメリカの教育は大変不均衡な状態で、それは同地域の極端な社会・経済格差が反映されています。よって、極端な所得格差や汚職などの問題を抜本的にやっつけないかぎり、教育格差も結局は改善されないのではと思うことがしょっちゅうで、それが教育開発に関わる際、しんどいと感じることですね。また、ラテンアメリカの国々は、植民地化された歴史的経緯から、人工的に国境線が引かれ、様々なエスニックグループ(白人、メスティーソ、先住民、アフリカ系等)がたまたま同じ国に収まってしまったところが殆どです。日本のように島国、単一民族で成り立っていて、ひとつの国として国造りが行い易かった国とはまるで背景が違います。よってラテンアメリカでは、国の政策作りの決定権を持つ特権階級(主に白人、メスティーソ系の上部の階層)が、自分達と人種も違なり、階層も極端に違う低所得・貧困層も考慮した教育政策を打ち出し得ないのも、分かる気がします。世銀のような機関なら、コンディショナリティーを操って教育政策に影響を与えながら教育協力活動を実施することが不可能ではありませんが、草の根レベルでやっていくNGOが、全体の教育政策や社会の不均衡な状況に対して大きな影響力を持っていくことは難しいので、それがNGOとして教育開発に携わる場合のもどかしい点ですね。

 それと、特に日本人としてラテンアメリカの教育開発に携わってきて難しいと感じることは、アジアと関わるのと違い、歴史、宗教、社会的背景がまるで異なるため、どんな要素に考慮し、どのような技術的助言をしたら有益なのか、最初は想像がつきにくかったという点です。でも教育の分野に限りませんが、開発はあくまで内部の人々による内発的なものでなければ根付かず、外部からの援助の役割は、それをFacilitateすることかなと、最近益々強く感じます。それもあって、私にとってはWorld Learningの、受益者のニーズを吸い上げてそれに合った活動を行うボトムアップ方式が、自分でも納得しながら関われるので、私自身にはしっくりくるところです。先住民対象の2言語・多文化教育プロジェクトを例にとると、特定の2言語教育モデルを外から押し付けるではなく、実際に先住民の人たちをTechnical Coordinatorとして選び、教師、父兄、コミュニティ、地域教育行政官と共に教育問題を考えながら、当事者が望むところのトレーニングや技術指導を、地域の状況に合った形で行っています。そこで1つおもしろいエピソードがあるのですが、たまたまマヤのCoordinatorが日本の折り紙を知っていて、折り紙だったら、教材開発する資金や素材に事欠く貧村でも新聞紙や広告紙を活用できるということで、教材に活用する試みをしていました。その話を聞き、私はグアテマラから帰った後にNYへ行き、紀伊国屋で折り紙の本を買ったんですよ。日本語で書いてありますが、折り方が図で書いてあるため、使えるだろうと思って…。それを送ったのがきっかけで、今では小学校の先生が、子供たちが自分達の地域の生活を表現する際、折り紙も素材として取り入れるようになり、マヤの農村部の小学校に、折り紙があふれることになりました。教育協力活動の対象者自身が欲し選んだものに対してサポートをし、私自分の持っている限りの経験、リソース、技術的知識、また他地域や別プロジェクトからのベスト・プラクティスを伝達してあげる、それが相手にとっても望ましい教育協力の形かなと思っています。

 なお、これは教育分野に限った話ではないですが、ラテンアメリカの開発に携わってきて日本人として思うのは、ラテンの人たちの前で日本的にきっかり物事をやろうとすると、それが最初の壁になってしまうこともあるんですよね。ラテンの人たちは遊ぶときは遊ぶ、やるときはやる、また日本人のようにちゃんちゃんと物が効率的に進まなくても焦らない、でも最後には辻褄が合っていたり、ということがあります。それをうまく操る柔軟性も必要なのだと感じるようになりました。一方的にアジア的な生真面目さを期待したり押し付けたりするのではなく、人間関係を大切にして、現地のリズムにのって、柔軟性を持ってやっていくことが大事だと思います。

 また、私が10年以上実務側にいた経験を通して感じたことは、開発というのはいくら理論や方法が素晴しくても、実際にそれを動かしている人間の対人関係、チームワークがうまく働かなければよい成果を出すのは難しいということです。実際にプロジェクトを動かしている人間の関係が悪くなると、どんなによくデザインされたプロジェクトで、いかに優秀な人たちを集めたチームであっても、いろいろなところで支障が出てきます。それも、異文化間のコミュニケーションが必ずしも問題の焦点であるとは限らず、違った文化、背景、環境を持った人達の間でも、気が合って、非常によい協調関係が生まれてプロジェクトが順調に動くこともあれば、似通った文化、背景を共有しているのに何かのきっかけで急にうまくいかなくなったということもあります。World Learningの大学院SITには、チームの管理方法、組織論等に焦点をおいたコースがいくつかありますが、開発の分野において、経済や社会資本等の理論面だけでなく、このようなhuman dimensionに関する実例や研究がよりなされていくとおもしろいなと思いますね。

5.今後のラテンアメリカの教育開発に、NGOとしてどのように関与していくべきとお考えですか。

 前にもちらっと言いましたが、NGOは草の根レベルでの教育援助が中心で、抜本的な教育や社会政策の変革に対する影響力が限られてしまいます。でもその反面、NGOだからこそ、草の根で実証された有効な教育活動例を、その実際の援助成果をもって、地方や中央政府、他の組織やNGO、Private Sector等に紹介できるし、その結果、点の活動が面に広がったり、国の教育方針や事業にも組み込まれるということも不可能ではありません。実例があるだけに説得力もあります。そのためには、プロジェクトの計画時点から実施全般にわたって、地方や中央政府や様々なアクターを、できるだけ活動に取り込むことが重要ですよね。World Learningの教育プロジェクトでも、プロジェクトの媒介により、学校教師自身が開発した女子教育マニュアルが、教育省に教員訓練用の教材として採用され、女子教育に焦点を置いた教員訓練プログラムができたり、プロジェクトが様々な教育関係者・団体、父兄、住民の参加を図って作り上げた2言語教育のカリキュラムが、地方分権化の動きの中、地方のカリキュラムに応用されたりという例がありました。

 何回も繰り返しているように、ラテンアメリカの教育状況は一般に、人種、階層、地域による格差が著しく、教育政策に携わる者は、国の隅々の状況を把握しているわけではないし、無関心の場合も多いです。それだからこそ、スポット別のコミュニティレベルにおける状況と活動経験を、行政や広く社会に伝えていくことがNGOの役割として、非常に重要なことだと思います。私が担当しているペルーの児童労働プロジェクトの対象コミュニティは、高度5千メートルにも及ぶ隔離された金鉱の村で、外部の人も訪れることが少なく、教育状況の悪さや児童労働の実態も外に知られることがなかったところです。(注:『ペルー:天国に近い地獄の村(1)(2)』地球に乾杯!NGOより)プロジェクトが地方政府を活動に引き入れたことによって、役人が初めて足を踏み入れたコミュニティもありました。

 コミュニティ・レベルでの意識改革と能力強化を助け、それと同時に"ボトムアップ"な形で、その国での教育政策やプログラムに影響を与える−これは、容易なことでなく、なかなか成果が現れないことも多いですが、社会や経済格差、また地域差の著しいラテンアメリカで、Education for Allを少しでも進めていくための、NGOの教育協力の関与の形かと、私は考えています。

―上岡さん、どうもありがとうございました。

《取材後記》

 ラテンアメリカ地域において、80年代の財政緊縮で教育の質が悪化したことや、90年代の自由主義経済改革によって既存の貧富の格差が広がったことを受け、現在質の高い教育重視の政策が推し進められています。教育が、不平等な社会構造の撲滅に向けて重要な役割を果たすということが同地域でも十分に認識されるようになりましたが、僻地に住む先住民や貧困層はまだまだ十分な教育が受けられないでいます。上岡さんがおっしゃったように、NGOとして国の教育や社会政策に大きな影響を与えていくことは難しいかもしれませんが、コミュニティレベルでの活動は特に社会格差の激しいラテンアメリカでは重要で、そのスポット毎に焦点をあてて得た成果を結びつけて、地方、更に中央政府へと働きかけれるよう、更なるNGOも含めた機関どうしのパートナーシップの強化が必要だと思いました。

August 10, 2003/Chie Oshima