From Paris/パリDAC通信第55号 |
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そもそもDACとはどういう場所なのか? これまで「対オランダ援助審査からみたDAC」と題し、3回に渡り、DAC援助審査一般、今回の対オランダ援助審査の結果の概要をお伝えしてきました。今回は、本連載シリーズ最終回として、対オランダ援助審査を通じて、筆者がDACという場所そのものについて感じた点をご紹介します。 5. 対オランダ援助審査からみたDAC 政策は強いが、現場の視点が弱い これまでの連載でお伝えしたとおり、今回の対オランダ援助審査を通じ、オランダは、斬新でわかりやすい援助政策を打ち出し、新しい援助手法を積極的に取り入れていく革新的な取組みを行っている点などが評価できるものの、それらが現場で効果的に実施されているかは疑問が残るということが、お分かりいただけたと思います。 「政策は強いが、現場の足腰が弱い。」筆者は、このオランダ援助の特徴は、そのままDACの特徴ともいえると感じています。「政策は強いが、現場の視点が弱い。」のではないかと。時々、DACは「talk show」「beauty contest」だ、といったご批判を耳にしますが、確かに、(少々極端な言い方ではありますが、)実際の現場での援助の成果はどうであれ、聞こえの良い政策を打ち出し、パリで流暢な英語でスピーチが行えれば、その国は「優等生」とされる傾向が、DACではあると感じます。事実、今回の援助審査においても、当初は、オランダは優等生というイメージが先行して進められていった印象がありました。審査国(主に日本)が指摘しなければ、「front runner」「leading player」といった美辞麗句ばかりが目立つ、バランスを欠いた審査結果になっていたかもしれません(関係者によれば、同様の状況が、英、スウェーデンの援助審査でもみられたとのことです。)。
DACの弱点を生み出す原因 こうしたDACの状況を作り出している背景は多岐に亘ると考えます。第一に、物理的にDACは現場の足腰が弱い(というか無い)。国連のように、途上国の現場にオフィスを構えてプロジェクトを実施することは行っていません。そのため、パリに集まる現場の状況に関する情報が少なくなってしまいます。最近では、パリ宣言を取りまとめた援助効果作業部会で、現場関係者の意見の聴取、現場動向の把握の必要性が指摘され、途上国関係者もメンバーとして加えた活動を行っているなどの改善もあります。しかしながら、実態は、招致される途上国関係者の多くは、援助窓口機関や財務省の関係者で、普段からドナーとの関係が深いため、(特に財政支援を慫慂する)声の大きいドナーの主義・思想に偏っていたり、(セクター省庁とは異なり)実際の援助効果を直接的に把握できていなかったりする状況も観察され、パリで示される途上国の声は、本当の意味での現場の声といえるか疑問がありあます。 第二に、DACメンバー国自身の能力・対応自体も、DACでの議論と現場に距離を作り出している原因のひとつとして挙げられます。特に、DACの方向性や、パリ宣言等の重要な政策・ガイドライン等に関し実質的な決定権を持つDAC本会合。まず、ここへの出席者である「DAC代表」(パリにある各国OECD代表部に勤務する外交官)は、必ずしも全員が現場での援助経験を有した援助関係者ではありません。また、会合への対処方針も、本国政府からの訓令を得ずに、「権限委譲」の下、殆ど個人の判断で決められる場合も多く、日本のように、本国関係者(外務省を始めとする各省庁、JICA、JBIC等)や、現場関係者との議論・相談を十分に行っているケースはあまりないといっても過言ではないでしょう。(同様の話が、オランダにも言え、オランダの政策は、現場での実態を十分に把握しないで作られたのではないか?という印象です。) 第三に、DAC事務局の能力・経験の問題もあるかもしれません。もちろん、事務局の職員の方々の中には、途上国での経験が豊富で優秀な方々も多いのですが、一方、途上国に住んだことが無い、経験が少ない、といった職員もいることも事実です。また、法律・法令や世論に規律される一主権国家の政府で働いた経験や、少なくとも状況を理解する視点を持った職員も少ないかもしれません。そのような職員にとっては、例えばアンタイドは、公正で自由な競争を促進し、コスト削減・援助効果向上に資すると積極的に認識されるかもしれませんが、アンタイドを実施するためのコスト(例 自由競争入札をするためには、少なくとも現地語・英語での広告掲載、入札図書の作成が必要となる)が高くなるケースもあること、また、ODAは国税を使用した事業でありある程度は援助国の利益に資することが求められる、といった「現実」に想像が及びづらいものと考えます。このような視点がないと、やはり、一般的に理想・イメージで議論が進んでいくことは否めないと思います。今回の援助審査でも、具体的な基準もなく、「オランダはより貧しい途上国に焦点を当てた援助を実施している」というイメージで議論が進み、援助審査会合の前日にようやく、Least Developed Countriesへの援助の割合がDACメンバー国平均値と比べてある程度高い(オランダは39%、DAC平均31%)といったデータが確認され、しかしながら同時に、ここ3年ではオランダ自身、右割合は減っている(03年48%、04年43%)ことも判明、といったこともありました。 6.DACにどう向き合うのか? では、このような状況から、DACでの議論を虚業と定め、まったく取り合わないのが可能、もしくは懸命な策といえるかというと、著者は個人的には、そうでなはいと考えます。まず、DACには、各国の援助政策や、現場での行動に影響を及ぼすアジェンダが多く持ち込まれ、議論・決定されていく場であることは確かです。特に、パリ宣言に代表される援助効果向上アジェンダ等に参加しないと、現場での援助活動に参加できなくなる、もしくは不利になるということは、現場で働かれている皆さんは良くご存知だと思います。 また、そもそも、その虚業といわれるDACの議論には、それなりに援助を改善したい、という純粋な問題意識から発生しているものも多く、そういった問題意識について議論を交わし、経験を共有する場としての意義は大きいと考えられます。例えば、「援助協調が必要」、「援助効果向上に取り組むべき」、「財政支援は有効」、といった声の背景には、(多少は、他国の援助予算も使って、途上国の開発に口を出したいというもくろみもあるかもしれませんが、)やはり、「各ドナーにより異なる援助手続きのために、途上国側の事務コストが高く、負荷になっていないか」、「援助活動といっても、ドナーコンサルタントが報告書を作成するだけで終了、途上国側には何も残らないといったケースがあるのではないか」、「そもそも国家予算がない中、保健や教育のサービスをどう提供できるのか」といった純粋な問題意識があり、ドナーが集まり、お互いが考える対策について話し合い、経験を共有しあうというのは、自然かつ有意義なことだと考えます。 問題は、こういった議論をDACでどう行うか、だと思います。既述のとおり、現場の実態に基づく議論・対応が行われていない現状がある。であれば、まずは、そういったDACの限界を現実として受け止め、共有し、DACの活動もそれに応じて限定・選択してもいいのではないかと考えます。例えば、援助審査も、政策面中心の審査であるべきであり、リソース・時間の限界で審査が行えない、現場での活動、特に人道援助に関する審査項目は最小限に見ていく、といったことも必要ではないかと思います(本当は、現場の活動こそ、真の援助の成果を測るためには審査されるべきだとは思いますがね。。。)。無論、同時に、なるべく現場の情報を最大限に収集できるよう、今以上の工夫が必要なことは確かです(その点、日本はよく情報を集めて対応している方なので、もっと声を大きくして情報を発信していけると良いと思います。)。 また、議論を行う際には、問題意識の共有、政策の方向性に関する議論に特化し、それを実施するための具体的な方策については、実証データがないかぎりにおいては、「どれが一番優れている」(例 途上国のキャパビルには財政支援が一番いい)といった視点の優劣に関する議論は行うべきではなく、経験の共有に徹する必要があると思います(残念ですが、DACでは、財政支援VS技術協力プロジェクトという議論に、1年以上もの月日を費やした過去があるのは事実です。)。 このようなDACに関し、オランダは、DACメンバーの中でも、DACの動向を重視している国といえ、今回の援助審査でハーグを訪れた際に面会した国会議員は、DACでの議論をよく把握し、調和化・AlignmentといったDAC Jargonも承知していたほどでした。援助審査会合自体も(実際には別の業務のために参加できませんでしたが)開発大臣の対応事項とされ、本国では、援助審査の勧告を参考に改革に取り組むといった姿勢が打ち出されていました。 これまでお伝えしたDACの状況を見ると、日本は、ここまでDACの動向に敏感に反応する必要はないかと考えますが、問題意識や経験の共有は引き続き、相応の対応を行っていければいいのではないかと考えます。可能であれば、日本の援助哲学・経験を普及させる、といった、積極的な動きもできればなお良い、とも思います。MDGsへとつながっていったDAC新開発戦略が作成されて10年がたちます。関係者に聞いたところ、この戦略の作成には、日本が大きな貢献を行ったとのことです。当時、関係者は、DACに、そして、世界の援助潮流に対して、どのような思いを抱きつつ、この戦略を描いていったのでしょうか。日本の援助はどうあるべきか、世界の援助潮流はどういった方向にむかっていくべきか、こういった問題を考える中で、我々はもう一度DACという場をどのように活用していくべきか考えるタイミングに来ているのかもしれません。 (パリDAC通信担当 寺門 雅代)
2006年 11月26日第54回「対オランダ援助審査からみたDAC −その3 「優等生」オランダから学べ!?−」 2005年 12月11日第44回「質問:ブルガリアに派遣されている青年海外協力隊の費用は、『ODA』でしょうか?」 2004年 12月14日第28号「DACシニアレベル会合(SLM)」
2003年 12月13号 |